何もしないとき、私は私ではなくなる

何かをしていたとき、私は身体だった。
何かを見ていたとき、私はその見ているものだった。
何も見ていないとき、私は空間だった。

何もしていないとき、私はどこにあるのだろうか?

身体は勝手に心地良く揺れ動く。
感覚は内へ内へと流れていく。
心はただ広がって振動している。

この勝手に動く身体が私なのか?
感覚の流れていく先のハートが私なのか?
この広がった原子のような点の集合が私なのか?

どれもが私であり、どれも私ではない。

このように考えているのが私なのか?

この考えはどこから来るのだろうか?

それは、「在る」ことから来る。
その「在る」ところには、何もない。

私は何もできないし、何もする必要はない。

なんて自由なのだろう。

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綱川哲郎|瞑想と対話
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