行間を訓む vol.42 ~ 湊あくあ「海想列車」 編 ~
プロローグ
ホロリスの皆様、そしてあくあクルーの皆様、こんあくあでございます。ホロライブにおいてはこの夏のARK配信やその他諸々あって、関係性オタクの私としては大変にたすかりましたし、また笑わせてもらいましたね。私は全てを追い切れず、切り抜き観測がメインではありました。特にXではオリンピックのトレンドとも競った大空スバルさんの「例のあれ」については…うん…ねっ?(おわかりいただけるだろうか)
ホロライブは多才なタレントが沢山所属されてますから、性格や考え方も様々。箱内での多人数コラボ配信をするだけでも、いろんな絡みや新たな一面を垣間見ることもしばしば。タレントはもちろん、リスナーも「ホロライブあったけぇ」の一言で片付いてしまうくらい楽しくもあり、面白くもあり、感動もあり。たすけられたリスナーも多いのではないでしょうか。
――― さて、早速ですが去る2024年8月6日、
我々推し活勢が最も戦慄する「大切なお知らせ」というポストと共に
同日20:00~の生放送でホロリスである我々に衝撃が走りました。
なんたることでしょう、我々に突き付けられたのは「卒業」という残酷な二文字の現実。こうなってしまってはいちファンではどうすることもできません。配信開始前の一抹の不安は揺るぎない現実となってファンと世間を駆け巡りました。私も息を吞んでその瞬間を迎えましたが、あまりにも突然過ぎたため思わず声が出てしまいました。
――― 僭越ながら私はいち「わためいと」・いち「ミオファ」としてではありますが、ホロライブとホロライブメンバーが好きであることに違いはありません。そして、何よりあくたんはホロライブ2期生としてバーチャル界の黎明期を支えてきた才能ある素晴らしいVtuberであり、アイドルであり、クリエイターです。彼女が創ってきたもの、功績や名言は6年間で計り知れないものであることは、200万人を超えるあくあクルーの皆様がそれを物語っています。
私が今回筆をとり、この記事を書かせて頂くに至った背景としては彼女の卒業ということも一因としてありますが、この曲は前々から注目しており、歌詞の意味について訓む「行間を訓む」企画として行いたいと考えていた矢先の出来事だったことと、奇しくも歌詞の意味が現在の状況と重なって見えてしまったことがあります。そして何より、「最後まで全力で走り抜ける」「最高の夏に」と発したあくたんへの敬意と、ホロライブ推しのリスナーとして何か形にすることができないかという思いからでもありました。有限ではありますが心の整理をつけてお別れを伝える時間があることへの感謝、そして自分の中での感情の処理をどうにかつけなければということもあり、このような形で投稿することと致しました。
あくたんの過去記事はこちらです▼
改めて表題の「海想列車」を視て/聴いてみましょう。この曲は約3年前の2021.08.09.の3周年記念Liveの際に新曲としてお披露目され、同日にリリースされました。作詞作曲はボカロPでお馴染みの40mPさんです。
同音異義語としては営業列車として乗客が乗ることのできない「回送列車」が思い浮かびますが、「海」を「想」うと書いていますね。一体どのような意味を内包するのでしょうか。次の章から歌詞の内容に注目して訓んで参りましょう。
歌詞訓み(§1)
心地良い揺れでうたた寝をしてしまうように、行き先不明の列車に乗ってゆらゆらとゆられながら、まるで波間に浮かぶ小舟のようにぷかぷかとゆっくり流れる時間がいつまでも続けば良いのに―――
夢に映し出された、あのときの自分。不器用で、人と関わるのが苦手で、何をするにもどこに行こうにも臆病で手に付かなかった私。
そんな自分を変えようと自らの手で掴み獲った貴重なプレミアチケットを握りしめ、この列車に乗り込んだ。
行き先も決まっていないし、決まった線路も敷かれていないけれど、窓から見えた未来は透き通った青い光を放っていた。吸い込まれるように、誘われるように、列車はゆっくりと走り出す。
未来が見えないのは確かに怖いことだけれど、一歩踏み出さなければ見えない景色がある。夢を抱いて乗り込んだ列車は目的地に向かって突き進む。
自分で選んだこの道が正解かどうかなんて考え出したら前に進めないから、一生懸命打ち込んで後悔しないようにしよう。そして、途中で辿り着いたこの目の前に広がる景色を目に焼き付けて。有限だとわかってはいても、『こんな時間がずうっと続けば良いのに』と願ってしまう。
歌詞訓み(§2)
あの頃の自分の夢から覚めて、今の自分を見つめてみる。歩んできたのは自分だけの力ではなく、沢山の仲間や同志の協力があったから。
途中、挫けそうになって立ち止まった時もあったけど、支えてくれる君の姿がそこにはあった。
期待に応えられなくて申し訳ない気持ち。支えてくれることへの感謝。全てを伝え切れていないけど。不器用な自分なりに自分のペースになっちゃうけれど、みんなに届けにいくから。
未だ見ぬ世界へ向けて走り抜ける列車は、海の上を滑るように進む。空白だった路線図は私のこの手で創り上げて、自分の道標としながら。
夢から覚めると、目的地へ向かう列車の中。夢で見た懐かしいあの頃の自分を思い出した。仲間と切磋琢磨し、笑い合って・手を取り合って。同じ空の下で大切な時間を過ごしたファンの皆とこれからもずっと歩んで行こう。
沢山の経験と仲間を得た今の自分なら、臆病だったあのときの自分には別れを告げられるだろう。私が夢と希望に向かって全力で突っ走って来たあの日々は白昼夢などではなく、確かに存在するのだから。今でもまだ自分の選択が正しかったかどうかなんて解らないけど。
少なくとも今目の前に広がる、自分の手で切り拓いて見つけることができた素晴らしいこの景色を、仲間とファンの皆と一緒にずっと眺めていたいなぁ…。
エピローグ
――― あくたんの『臆病な自分を変えたい』という「想い」を載せて走り出した列車は6年もの歳月、それはもう全速力で駆け抜け、本日からホロライブとは別の方向へポイントを切り替えて進むこととなりました。その列車には沢山の仲間となるホロライブのタレント・ホロメンや、推しを応援するファンである「あくあクルー」とホロライブ推しのファンを途中の駅で乗せながら ――― 。しかしながら、彼女なりに希望と夢が広がる「海」という目的地へ向かいたいから選択した道であることに変わりはありません。彼女の「想い」を乗せた「列車」は『新たな夢』を意味する「海」へ向けて走り出したのです。
前日のマインクラフト配信で、最近仲良くなった3期生の後輩・ぺこーらこと「兎田ぺこら」さんが最後にプレゼントをした際に海上を走るトロッコで流した曲も「海想列車」でしたね。あくぺこの絆に私も思わず涙をこぼしてしまいました。ズルイッテ…
我が推しミオしゃこと「BGM(ビッグゴッドミォーン)」先生を通して、占いの館でのひとときが印象的でした。絶妙に現状と近い未来について見抜かれていたりと相変わらずの鋭さでした。
マインクラフトではAKUKIN建設の初期創設メンバーとして経理を担当し、縁の下の力持ちとして社長を支えていたことも昨日のことのようです。
我が推しわためぇも、思えば4期生としてのデビュー前に「#あくあ色ぱれっと」の仮歌歌唱のお仕事を通じてあくたんと関わりがあったことが生放送で明かされて以来、特別な絆で結ばれた先輩であり、仲間でもあります。そんな二人が歌うこの楽曲がこのタイミングで御披露目され、涙腺待ったなしです。
マインクラフトでも、滑り込みで「わたメダル」を渡すことが叶い、「ラムベガス」でのギャンブルを通して「ラストあくぺこ」を醸すきっかけを作ってくれました。陰のヒーローです。
『歌い続けてええか?』という問いに対して『歌い継いでくれ』と力強くわためぇを後押ししてくれたあくたん。いつまでも、その繋がりは不滅です。
―――「卒業」に触れて私の実体験を少々お話しさせて頂くと、(※vol.18でも同じお話をしておりますが、改めて話させて下さい)大学を卒業し、友人達と別れるときに似たような経験をしことがありました。友人達と打ち上げで酒を酌み交わした後、最後に友人達と駅で別れることになった時のことでした。私は自然と友人達に握手を求め、「ありがとう」「またどこかで」と挨拶を交わして、それぞれが帰るべき路線を選択して列車に乗って行く/手を振って見送るという光景を目の当たりにし、自分一人で帰路についていたときにふと思ったのです。
自分を含めた同級生一同は大学というコミュニティを通して出会い、同じ道(学部・学科等)を卒業し、同じ列車に乗って進んで来たと言えるでしょう。そして夢や希望を胸に抱き、それぞれが進みたい道を目指して新たな列車に乗り込み、共に歩んだ学友に別れを告げたのです。私はその様子が妙に人が生きる様である「人生」自体を追体験しているように思えてならなかったのでした。
――― あくたんの卒業は「夏」という季節がそうさせるのか、どうしても「あの曲」を思い浮かべてしまいます。それは「secret base 〜君がくれたもの〜」です。どうしても歌詞が正に今回のあくたんの惜別と重なってしまいます。最後の雑談で「最高の夏だった」とやりきった様子で語ったあくたん。
―――「君と夏の終わり 将来の夢 大きな希望 忘れない」
「10年後の8月 また出会えるのを信じて」―――
―――「手紙書くよ 電話もするよ 忘れないでね 僕のことを」
「君が最後まで 心から「ありがとう」叫んでたこと 知ってたよ」
―――「涙をこらえて 笑顔でさようなら せつないよね」
「最高の思い出を」
――― 2024年の8月。私はVtuber・湊あくあさんを通して最高の夏・最高の思い出を届けてもらったように思います。パソコンやスマホの前で沢山笑い、沢山驚き、沢山哀しんで。それは唯一無二の思い出であり、今後なかなか出会うことができない経験・体験であったことは言うまでもありません。
「私が死ぬときは、みんなから『湊あくあ』が忘れ去られた時。だから語り継いで欲しいし、いつでも心に呼びだして欲しい」という主旨の話をされておりおましたが、本当にその通りだと思います。忘れ去られることほど悲しいものはありません。我々ホロライブのリスナーが彼女の刻んだ記憶と記録を語り継ぎ、生き証人となっていつでも思い出して、功績を称えてあげたい。それが彼女の望むこと。私はこの記事がその一端を担ってくれているといいなと思います。
私がこのような記事を書くときに考えることは、「どこにでもある平凡な紙飛行機であって欲しい」ということです。誰かに届いて欲しいと願うのでなく、何のあてもなく創り出された普通の紙飛行機が教室の窓から何の気なしにふっと放られる。それが風に乗って遠くに運ばれるか、誰かに拾われるか、はたまた捨てられてしまうのかということも、その紙飛行機を創った当人は全く気にも留めていない。そんなものでありたいし、今後もそうしたいものです。
あくたんの選んだ道、選択した路線、手にした切符がどうか、この先の人生において幸多きものでありますよう、一人のホロリスとしてささやかなる願いと餞の意を込めてこの記事の結びとさせて頂きます。
湊あくあX(旧Twitter):https://twitter.com/minatoaqua
それではまた次回の「行間を訓む」でお会い致しましょう!!
おつあくあ~⚓!!👋
またいつか会えますように。
――― ここまで訓んだ ―――
2024.08.28. つなな