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瞳の中のほくろ

 洋服屋さんのバイトで知り合った「おさむくん」という名前の男の子がいる。

彼は学生で、有名な大学とか通っちゃってる。かなり頭はいいけれど、口癖は「性格を変えたい。」


とにかく何を話してもネガティブリーな感じで繊細、恋愛も本当に不器用なご様子で、境遇とは相反し、たいそう悩み多き青年やった。その姿はみるからに現代版「太宰治」って感じやったんで、私は勝手におさむくんと呼んでる。


  おさむくんは背がひょろりと高く肌同様、首筋もみゃくみゃくと青白く、透けていて、まるで血管は葉脈のよう。そこにはぽつりぽつりと、小さいカビみたいなそばかすが浮いてた。


顔からつづくそばかすは、首筋から鎖骨までてんてんと走ってて、服の下に続くそれが何ともいえず色っぽく、その先がどうなってるんか知りたくてたまらなくなって、さしずめ、ガーターベルトのベルト部を好む、男みたいな気持ち。

私の心にもカビがうつったわ、と思わずにいられなかった。


  彼は左利きで、ボールペンを持つ手が猫みたいにまるっこくなってて変なんに、そっから生まれる文字達は、ワープロの明朝体みたいに流麗で美しく、この人の構造は一体どないなってるんやろうとさらに興味津々。

それはどうやらおさむくんもそうだったらしく、お互いに性的感性と好奇心をくすぐり合いながら毎日を過ごしてたら、それは結構大きな恋に成長してて、内心私はかなり焦る。

というのも、私には、うんと年上の恋人がいるのである。そして、結婚する話も出ているのである。

彼は大きな会社に勤めてて稼ぐ人。生活も安定していて、私のことをとても大切にしてくれていて、親も祝福、普通に幸せ。
やけど、ほんまにこの年齢で結婚していいのんか、わたしはこのまま普通の幸せを手に入れて、それに浸されながら死んでいくのか、それはいいことなんかみたいな、マリッジブルーの走り的症状に陥ってた。

 でもそれのなんたるかを知りたくて、あかんとは思ってたけど、おさむくんとデートをしはじめた。


おさむくんは、私に彼がいるってことを知っていたから、デートに誘ってくれるときも、いつもどこか申しわけなさそうにしゅんとして、自分から誘ったくせに「いいよ」というと、急に怒りだし、でもなんやかんやして一周回ると、予定していた日にはデートするみたいな感じやった。

けど何回かデートしたら、お互いこの恋にこれ以上何を望めばいいんか分からんなって
告白もせず、手もつながず、キスもせず、ただ二人で会って、行先のないことを実感、さらに二人でおろおろし、その後帰っていくって感じやった。

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 おさむくんが就職のために東京を離れるってなって最後のデートをした日、私的にはあんまし好き違う遊園地のアトラクションに並んでいたら、急に彼が「はるかの目の中に、ほくろある」といいだした。 


私は、マスカラの塊が落ちて目の中を泳いでるんやと思ったから「マスカラの落ちたやつかも」って言ったら 


「違うよ、瞳の中の左下に、小さいほくろがあるんだよ」 
「でも、ちがうかなぁ。瞳の中にほくろなんて、できないもんな」 
「なんだろう、なんだろう」
「不思議だね」
って一人でぶつぶついって、最後に
「わからん」
と付け加えた。 


 その日は遊園地のナイターが終わってから、軽くご飯食べて、お酒を飲んだ。
彼が、仕事をすることが不安だって言っていたから、あなたは私が今まで会った、どの男の子よりも感受性が豊かで、とても素敵やから、なにも心配することはないっていったら、ありがとうっていってちょっと照れとった。

終電の時間に駅まで送ってくれて、もうおそらく2度と会えないやろうなぁと思ったら、本当に悲しくて、そんなんは絶対に嫌で、今日が終わったら後悔することが分かってたから
「もし嫌じゃなかったら、朝まで一緒におろっか!」
って明るく言ってみた。


 まず彼はびっくりした顔をして、2秒くらいかけて口がへの字に曲がっていって、最後は少し顎を引いて、視線を落としてから、さらに3秒。
「それはだめやね」とだけ言った。

その言葉の力はけっこうなアレで
私の放った明るい言葉を、ひゅっと、ろうそくを吹き消すみたいな感じでかき消してしまって、私も5秒くらいだまってから「せやんね」とだけ答えた。


 そっからまた沈黙がてんてんとつづいた後
「もし、彼氏と別れることあったら
その時はつきあおうね」
とおさむくんは言った。

 彼と別れて、階段降りて電車に乗ったら、お酒のせいか、良く分からないけど、きんきんと心臓が膨張するみたいに痛んで、本当にあまりにも痛むんで涙が出るかと思ったけど、結局目からは何もでなくて。


私は今付き合ってる彼のことが好きなのか、おさむくんのことが好きなのか考えてみたけど、答えなんて見つかりっこないことに気づいて、ただ終電にガタゴトと揺られながらおさむくんの照れた顔を思いだしてた。


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 結局、その時の彼氏とは別れることになったけど、おさむくんには何もいわず別の人とお付き合いすることになった。新しい彼氏と部屋でくつろぎながらいちゃいちゃしてたら


「瞳の中にほくろがあるよ」


って言われた。知ってる、言われたことあるって答えたら
「これ、目の中じっとみないとわからんで。随分近くで見つめあってたんやね」
と返ってきた。


 おさむくんはあの時どんな気持ちで私の目を見てたんやろうとか、あの時それについて聞けばよかったなとか、一瞬色々なことを考えたけど、その時間たちは全て死んでしまってることに気が付いて、電車の中で感じた甘苦い思いが喉の奥に詰まりつつ、鏡を覗いてみた。


おさむくんが言ったとおり瞳の左下、黒目と同様の小さい点が確かにそこには浮いていて、私はどうしようもなく幸福な気持ちになるんやった。

 

ツナ缶に愛の手を🤚❤️