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読むとどうしてもお茶が飲みたくなる本

こんにちは。TSUNAGUTO広報です。

いつでも食欲の秋のような記事を公開しているこちらのnoteですが、今回は読書の秋らしく、読むとどうしてもお茶が飲みたくなる本をご紹介したいと思います!
といってもレシピ本ではなく、お茶との出会いが印象的に描かれた女性著者のエッセイを集めました。

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あなたにとって、「お茶」はやすらぎを与えてくれたり気分転換のために飲んだりするイメージでしょうか?
それとはまた違う一面として、今回は「能動性」というキーワードでお茶の本を掘り下げていきます。

お茶が能動的って、どういうことでしょう?
以下の本を読んでいくと、何の気なしに飲んでいたお茶の見方が変わるかもしれません。


ジーナ・ミュジカ『「夢をかなえる」自分になる』(大和書房)

私は毎朝この紅茶を飲み、感謝の祈りを言う。それにかかるのは、ほんの三十秒だ。この祈りを捧げられないほど忙しさにかまけているとき、その日はあまりうまくいかない。(中略)
祖母のカップを手にとって、ちゃんといい感じにお茶を淹れると、可能性に向かって目が覚める。このちょっとした習慣のおかげで、無自覚に気分に流される状態から、意識して一日ずっと明るいほうを向いていられる状態になるのだ。
(p.112)

お茶は休憩や気分転換のために飲まれます。ただし見方を変えると、お茶はただ流される日常に竿刺す行動にもなります。

つまり「嫌なことがある→不幸になる」と受け身で生きるのではなく、嫌なことがあろうとお茶を飲む時間を持とうとすることで、これ以上不幸にならないぞ! という意志を感じさせるのが上の引用です。

自己啓発本のようなタイトルですが、病気の息子を持つシングルマザーが、全米最高のお茶ブランドを築き上げるまでのエッセイです。ボタニカルな挿絵たっぷりの17つの章で構成されており、お茶一杯を飲む時間で読み終わるよう、それぞれの章は短めになっています。

その17つのエピソードにより、お金が全くないところから一つひとつ苦労し、それを解決する過程を読者も追体験できます。徹夜して一気読みするタイプの本ではなく、日々のお茶とともに少しずつ読んでいく本です。

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主人公のジーナは今や女性起業家賞をいくつか受賞していますが、彼女の語りはどこか自虐ネタを含んでいて、どの章でも忙しく落ち込んでは、いつも「人」と「お茶」に救われます

誰も一足飛びに全米最高になることはできない。でも大きな悩みをカップ一杯分ぐらいに細切れにしていったら、昨日よりは前に進めるかもしれない。
そんな思いがあるのか、17つある章にはすべて、ジーナがブレンドしたお茶の名前がつけられています。

一つひとつのブレンドティーを生み出す度に、確実にジーナの人生が変わっていく様を読んで、きっとお茶が飲みたくなるはずです。
お茶が起こした「奇跡」が私にも起こるんじゃないかと、思えてくるからです。

↑ブレンドティーの奥深さに触れたあとは、こちらの日本茶ベースのブレンドティーも覗いてみてくださいね。(トップ画像のお茶はこのウツクシ茶です。全部で5種類のブレンド茶があります。)


森下典子『日日是好日』『好日日記』(飛鳥新社、パルコ出版)

雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。.......どんな日も、その日を思う存分味わう。
お茶とは、そういう「生き方」なのだ。」(p.213-214)

寒い日にただ寒さに苦しめられるのではなく、「身の切れるような寒さを味わう」と言い切るこちらの文からは、天候などの外的な要因に振り回されるのではなく、能動的にそれを味わう姿勢が伺えます。

お茶の中でも茶道好きの人であればよくご存知かもしれません。文庫本(新潮文庫)と単行本(飛鳥新社)があり、原作者である森下さんが茶道教室での体験を綴ったエッセイです。こちらの本は2018年に映画も公開され、同年に続編も出版されました。

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この本に登場する茶道の先生は口で全てを説明するタイプではなく、代わりにお茶室にある掛け軸が雄弁に語ります。

当時の森下さんは恋愛や仕事に悩んでおり、掛け軸に書かれた言葉に後押しをされることが何度かあります。先生に直接何か言われた訳ではなくとも、森下さんはそのタイミングでその掛け軸を見たことに意味があると感じ、言葉の意味を全身で理解していきます。

先生に説明されて納得するのではなく、言葉や出来事の意味を自分の解釈で掘り下げていく。教えられる正解ではなく、自分で納得したことが正解となる生き方
「お茶とは、そういう『生き方』なのだ」と言われているように感じます。

それは長年茶道を習った人にしかできないことではありません。
寒い日は特別身体を温めるお茶を選ぶといった今すぐできそうなことも、寒さを味わおうとする能動性なのではないでしょうか?

『日日是好日』から40年後の森下さんを描いた続編『好日日記』も合わせてどうぞ!


吉本ばなな『違うことをしないこと』(角川書店)

最後に紹介するのは、豆大福や苺大福などの和菓子が表紙になっているこちらの本。小説ではなく、対談や語りが元になった、話し口調のエッセイです。
スピリチュアルな職業の方々との対談も含まれており、主に目に見えないものについて、吉本さんが解釈を語っていきます。

スピリチュアルと言うと難しく感じますが、私たちは未来や運命といった目に見えないものの話をよくします。
その中で吉本さんは、「時間は未来から過去に向かって流れている」という考えに触れています。

私がまったく興味がなかった茶道部に入ったのも、その時の自分には「違うこと」に思えても「とにかく、とりあえずやった方がいい」という勘が働いたからで、その風は未来から来るんだと思う、過去じゃなくて。(p.146)

吉本さんは全く興味がなかった茶道部に入った時、その発想(=「しがらみとしか言えないヘンな流れ」)は「未来」から来たと話しています。
それまで茶道をやってみたいとは思っていなかったのだから、もし単純に過去に基づいて判断していたら、茶道部には入っていないはずですよね。

実際、茶道は全然向いていなくて苦痛だったようです。それでも茶道をしてよかったと現在は思っていて、勘は当たっていたと話しています。

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大人になると、何かを決める時に、未来ではなく、過去の失敗で推し量ろうとする。過去に起こったことのせいで、今の自分があると思い込んでいる。過去はもう過ぎてしまったことで変えることはできないのに、それで未来が決まってしまうとしたら、生きている意味がしぼんでいく感じがしませんか。(p.145)

例えばですが、茶道を習うまでは茶道がどんなものか分からない(=過去に経験していない)のだから、茶道をする前から茶道を習うべきかどうかなんて判断できません。
つまり「過去に起こったこと」から推し量れることは思ったより少ないということです。

私たちは過去の経験に基づいてお茶を飲むのではなく、お茶を飲んだ方がいい気がする、飲んでみたいという、未来からくるかすかな予感に従って行動しているのではないでしょうか?

吹いてくる風に流されるのではなく、未来から来る風を「つかまえる」ことは、「お茶は詳しくないけれどなんとなく飲みたい」といった気持ちにも言い換えられます
能動性というと、さも気合が入った行動のように聞こえますが、肩に力の入らない選択をするのもまた、自分の意志であり能動性だと思います。

なんとなくこのnoteを読み始めて、なんだかお茶を飲んでみたくなったら、その風をつかまえてTSUNAGUTOの「お茶診断(オチャート)」を試してみてくださいね。占いのように、今の気分に合うお茶をお伝えします!

お茶を飲むことは、一歩を踏み出すこと

ここまで読んでくださった皆さんは、お茶を選ぶことも、実際に飲んでみることも、自分の感情や気分に向き合うことも、全て能動的な行動だと思えているのではないでしょうか?

それがいかに小さな一歩であれ、30秒でも意識的にゆっくりする時間を持つ、気候や外的要因に振り回されない、飲みたいという気持ちに従う、といった行動の前後では、生活に対する意識が変わっていると思います。

TSUNAGUTOは、そんなあなたの一歩を後押しできたらと思っています。

本を注文するようにお茶を選んでいただけたら、ご自宅まで届けます。
縁あってあなたと出会ったお茶を、ぜひ読書のお供にしてくださいね!

W:矢島愛子

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