井上寛美
周囲に流されずに 言わなくていいことを、わざわざいって 扱いづらいやつと浮くシーンも多くて 仲間も少ないときや、嫌煙されることは たくさんあるけど それでも私は私でしかない 人を肯定するのは大事だけど 自分を肯定するのは諦めたくないし そんな自分を肯定する人は必ずいる 過半数の意見が正しいことなんて ほとんどないし、正しさなんて無意味 結果論でしかないし 自分が見えていないものは必ずある 諦めることは大事だし 諦めが悪いことはもっと大事
人にどう見られるか 気にした方がいいか 気にしない方がいいか ほとんどの事は主観なので 錯覚 私自身が私の事を 認めてたら 認めてくれてる人のこと信じられるし 認めていたかったら 認めていない人が心を占める 人間なんて 良い部分もあれば、悪い部分もある 発酵と腐敗の違いと一緒 その人にとって身体に良いものは発酵で 身体に悪いものは腐敗なのだ 価値とは高めていきたいもの 自分自身をどのように高めていきたいのか それをまずは考える
常に誰かといたい衝動がある 飲みに行ったり、誰かと話せないか 話し相手を探している自分がいる これは、幼い頃に、1人の時間が多かったからかもしれない 1人でいるつまらなさを不安に感じているのかもしれない 本当は自分のやりたいことをじっくりやってるほうが 楽しいのではないか 私は毎日さぼってばかり、逃げてばかり このままでいいのかという葛藤があるのに 本当は自分が作業する時間は好きなのに 面倒に思って、つい、楽に逃げている そして、自分がやるべき作業をしていると ふと不
説明しても伝わらないことがよくある ・体験したことがないこと ・行き着くまでの思考経路が自分と違う ・話が途中でスイッチした 人は想定しながら話を聞くの (これは年齢と共に進む感触があるが) 相手の説明は、自分の想定にあてはめながら聞く そこで、自分の想定と違うことを相手が話した際に混乱する。 そして、想定と違う場合に、更に自分の想定で質問をし 自分の想定にない返答があると更に混乱していく なので、プロセスの途中で、相手の理解を確認しながら 話を進めていく。 時間が
自分が生きた意味も 証も必要ないけど 「この人の愛に包まれている」 と思い出してもらいたい、という言葉がでてきた 「愛されたい」という気持ちを、 満たしたいが故の行動も 「報われない」という失望に変わり 苦しんでいた。 「どうせ、私は愛されない」 という思いを抱えながら生きてきて 両親の死後、「実は」愛されていたということを 何度も思い起こし実感した。 歳を取るたびに、子が成長するたび、 両親の想いに気づき、自らが愛で満たされていく感触。 全ての人が 人のつながり