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過去は永遠に保存される


夜の霧 ビクトール・エミール・フランクル
を読み、フランクルの世界へと引き込まれています。

生(せい)とは何か、そして、死とは何かをひたすら問い続けたフランクル。もちろんそれはとてつもない体験をしたから。

自身の壮絶な収容所での体験、そこから感じてきた死生観。人の人生を「砂時計」にたとえて表現しています。その表現にこころがふるえたのです。

砂時計の上の部分には、まだこれからの未来があります。それは、これから起こることです。そこには砂時計の狭い部分をすり抜けて下へ流れ落ちる砂が入っています。
砂時計の下の部分には、すでに起きた過去があります。それは狭い部分をすでに通過してしまった砂です。そしてこの狭い部分は現在を示しています。

人生が砂時計だとしたら…わたしたちが今いる現在とはちょうど砂時計のまんなかのくびれた部分に当たり、私たちは、「今」というこの瞬間、何千何万という砂粒を、一粒一粒、下の「過去」の部分に落としていて、どの砂粒を落とすかが、その人の人生における決断を意味している…と。

そんなふうにフランクルは考えたそうです。


どんな状況においても、人間には、どんなふうに自分がそれに取り組むのか、それを決断するための自由の場があり、たとえ、全身が縛られていていようとも、なにもできなくてもどんな場合においても「精神の自由」がある。そして、それは死ぬ間際でさえもあるのだと。どう自分が死ぬかということも、実は自分で決めることができると。


フランクフルは外側に表されるものだけに囚われて絶望するのではなく、内側への自由と心の領域の可能性をひらき続けていたんじゃないかと感じるんです。

そして砂時計の表現は、時間…とはにすごくつながる!

今自分が決めて未来が作られていく…という
過去→現在→未来
直接上ではなく(そう認識していますが)

未来という永遠性から、あらゆる可能性がいつもふりそそぎ流れている。それも実は意図をしているからで、その選択を毎瞬していている今。そして過去は記憶。

そして、砂時計を反対にすると、下に溜まった過去、時間が反転する!これは13の月の暦でのテレクトノンの亀の歩みのことと同じだと感じて、また暦への気づきや深まりにもなりそうです。

とにかく

「今を生きる」  carpe diem!!

このことばを知ったのは映画を見てから。
この映画好きだったなぁ。

そして砂時計ほしくなりました笑!!
こんなイメージでみていたらいろいろとインスピレーションが来そうな感じ!!

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