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ふと書きたくなったこと

上京してからずっとやりたい仕事(職種)だけをやってきた。
ファッションのプレスの仕事がしたくて上京。
初めに就いたのは販売員のお仕事。
入った会社の中で好きなブランドの担当にはなれず、別のブランドに配属になった。
オープニングのスタッフになり、6人ぐらいのチームの新人。
毎日洋服に触れて、お客様に似合うもの、コーディネートを考えて提案し接客。
先輩方も優しくて仕事に行くのが楽しかった。

その後も販売員の時期は続いたが、モードなファッションにあこがれていた私は、コレクション誌を見まくり、気になるブランドを見つけては取り扱っている会社を調べ、スタッフの募集を探しては転職をし、常に自分の好きなブランドに携わらせていただいていた。
こんな感じで仕事を選んでいたので、仕事も遊びも変わらないぐらいに楽しかった。

時が経ち、私は望んでいたプレスの職種に就き、高校生のころから憧れた夢を実現させた。
プレスの仕事は予想通り楽しかった。
もちろん大変なこともたくさんあったが、仕事が大好きで仕方なかった。

2年くらい前に会社員を辞めた。
仕事が嫌になったわけではない。会社が嫌だったわけでもない。

仕事を始めたあの頃との違い、、
それは、「自分のことを大事に出来なくなってしまっていたこと。」
身体が重くても、気分がすぐれなくても、やらないといけない。
と自分でも氣づかないうちに無理をしていた。
ある時期から、占いの鑑定に行くと、鑑定士の方に、
「あなたはまず、自分のメンテナンスをしなさい。もっと自分のために、自分が喜ぶことに時間を使いなさい。」
と言われ続けた。そのたびに私の答えは、
「ん?私忙しいですが、みんなが喜んでくれるので、それが嬉しいですよ。それが私の喜びです!」
無理をすることが当たり前になってしまっているので、その感覚は麻痺していた。

そして、このアドバイスの重みを私は数年後に知ることになる。
度重なるぎっくり腰、ずっと無かったPMS、胃の重み、体重の増加…
会社に行くのは嫌じゃない、仕事も楽しい、
だけど身体が重い。
このころから心と身体の乖離が現象として現れるようになっていた。

バランス感覚は麻痺していたのだろう。
少しずつ無理を減らそうとしても、塩梅が分からない。
それは胆石という物体となって現れた。

立て続けに2回の発作が起こり、年末に手術&入院。
初めての入院にも関わらず、私の心には、
“何もしないで病室でゆっくりと瞑想しよう!楽しみ。”
という想いが強かった。

退院してからは、自分の心や身体を第一に考えた。
身体に染みついていた働き方を変えるのは難しかった。
お願いされていることを断るより、受ける方がしんどくなかった。
小さなことの積み重なりで出来ている仕事は少し無理をすれば出来ることが散らばっている。バランスよく采配する方法さえも分からなくなっていた私は、自分のなかで80%と思う量の仕事以外を断ることにした。
今までこなしていた仕事の量を減らすということは、他のスタッフの負担が増えるということだった。
申し訳ない気持ちと、そこでまた受けてしまうと今までと同じになってしまうという気持ち。今度はその葛藤で心が苦しくなった。
心で、言葉で謝りながらもその姿勢を貫き続けた。

そしてその後、感染症の流行により仕事の内容や量も大きく変わり、10年間お世話になった会社を退社した。

次にどんな仕事をするかは具体的には決めていなかった。
ただ、“これからは自分のペースでやりたい事だけをやろう。”という事だけは決まっていた。

あれから2年、フリーランス1年生だった私には色々なことがあった。
今ではあの時に決めていたやりたい事だけでの仕事のバランスが出来つつある。
やりたい事=心(魂)が動く事
そして、今までの人生での経験や出逢った方々が繋がり、またあらたな場所で繋がり広がっている。
かつて、バランスを崩し余裕がなくなった私は、自分以外のものや人が原因で、自分がこんなに辛いと思っていた。
しかし、その状況をつくったのは自分自身。
全て自分が作り出していた現象。
そのことに氣づかない(氣づいていないふり)時は、結局パターン違いの同じようなことが続いていた。

今でもたくさんの波は押し寄せる。
もちろん波に流されることも多々あるが、早めに氣づいて対処ができる。
そして、この氣づきに至るまでに、たくさんの経験を一緒に居てくれた人々に心から感謝をしている。
まだまだ、色々なことが待っているだろう。
昨日だって一昨日だって、またひとつ学びが起きている。
地球に生まれて地球を楽しむ。それはただ楽しい事だけじゃない。
そんな事もひっくるめて、これからも出逢った方々と一緒に地球を楽しんでいきたい。


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