身体を診る怖さを知ること。妻の出産とてんかん症状そして 3/3
そして診察日がきました。医師からは前回の診察時に病状を告げられていて、どうしていくかを考えておいてくださいという趣旨の言葉を受けました。
ここで決めないといけません。
診察室に入り二人で座ります。医師は「どうしていくか決めましたか」と一言。もう治療は進めていく素振りでこちらを見ようとはしません。
そこで私が切り出しました。
「てんかんの治療は受けません」
医師もちょっと驚いたのかこちらにようやく顔を向けました。どういうことですかと言われたので、こちらの考えを説明しました。
24時間以上陣痛から出産までかかっていたこと。
出産時も数時間意気込んでいたこと。
骨盤が出産後すぐなので緩んでいたこと。
それらの要因で頭部には電気的な負荷が蓄積(蓄電)されれたこと。
トイレというきっかけで放電されたということ。
医師は一通り聞いた上でこう言いました。そういうことは考えにくいです。確かに医学的にはそう説明がされてる論文などはないので、当然の反応です。
もちろん違うかもしれないが、こういった要素も考えられる以上、私は妻に投薬治療を進めていくことができませんでした。そう、病気じゃないのに病気として治療することを良しとできなかったのです。
医師からは再度リスクを告げられました。発作が起これば最悪、子どもや妻の命の危険性もありえます。それでもいいんですかと。
「私は先ほどの説明のように判断してるので、やはり投薬治療は受け入れられません。そして妻もそれを了承しています。」
医師はわかりました、では診察は今回を最後にしましょう。もし何かあった際はきてくださいといって診察は終わりました。
出産後も1ヶ月はずっとさらしをお腹に巻いて骨盤を固定しました。実家にお世話になり、なるべく目を離さないようにしました。ある程度動けるようになってから一緒に散歩しながら歩くことにも努めました。頭に蓄電されにくくそして放電もできるようにと考えてです。
今思うと、このとき初めて人を診る怖さを知りました。私の判断で人がそれも妻と子どもの命を失うことになるということ。
そして、当時病院のリハビリを担当していましたが、その手技や運動一つ一つが身体を悪くしてしまう可能性もあるということにも気づきました。
良かれとおもっていても悪くしてしまうかも知れないということです。
この怖さを知り、患者を触れることにもためらいがでるようにもなりました。そして同時に理解したことは、家族を診るということです。
学んだ治療の技術は、まず自分の身体を通してそして、そこで大丈夫なら次は家族の身体を通します。大切な家族の身体も通すことで初めて、他人の身体に触れることができる。そう思えるようになりました。
この身体を診る怖さと自分を診れて、家族を診れて初めて他人を診るという考えは今でも礎になっています。
あれから10年が経ちますが、発作はでていません。さらに子どもにも恵まれました。別にあのときの考えや判断が全て正しかったというつもりはありません。私には大切なターニングポイントだったと思います。