アンナチュラルからみる日本社会のコミュニティ
大学の授業をきかっけとしてnotoを始めました!
今日はその第一本の記事を書きます。
あまりドラマをみない自分では最近アンナチュラルというドラマに関して心が響いた。それはなにかうまく言葉で表現できないが生きることに対してものすごく幸運と幸せを感じて生きていることっていいなと思い始めた。
そのドラマの内容を含めて感想を書きたいと思います。
設立して2年弱の不自然死究明研究所通称UDIラボという架空の研究機関(公益財団法人)を舞台に展開する不自然の死に対する戦いである話。日本で登録されている解剖法医は170人ほどに超えてない。非自然死亡的遺体の80%が遺体解剖はしない。国の認可を受け全国初の死因究明に特化した調査を行い、警察や自治体から依頼された年間約400体の遺体を解剖調査しているという設定であるのがUDIラボ。不自然の死の裏では偽装殺人、医療ミス、未知の難病などの可能性もある。毎回さまざまな「死」を扱いながら、その裏側にある謎や事件を解明していく。
謎を解けることは人間社会にとって重要であることは間違いない。しかし、私の心を動かしたのはこのドラマの一つ一つのストーリーである。世に中のコミュニティはどんな形で存在し、人々はどんな姿で生きている。
このドラマは、医療ドラマやサスペンス、刑事ドラマであることを簡単に言えない。法医の職業を切り出し、多くの人間性、生死観、社会の矛盾、などを反映している。いかにも生身でいかにも同感できる。なぜなら、私たちの周りはまさしくそういうことが充満している社会である。私たち一人ひとりが汚い人間として生きている。一つ一つのシーンを見る時にホーラー映画見るより怖く感じる。それは人間こそ一番怖い存在であるからだ。このドラマは人間性の価値を議論することがある中で人間性の醜悪や世の中で人間らしく人情味も演じさせている。
病院というのは人の命を助ける神聖な場所である。しかし、時には不透明で深い闇が隠される。悪性伝染病の隠しについては、患者の悪名に対して身を背負うことなく、明哲保身という冷酷のやり方だった。疫病の隠しは多くの人の伝染と死を意味する。その目的とはただ有名な一流である病院の名誉と自分たちの名誉である。
医師の職責はどこにあり、自分の利益とぶつかる時何を選ぶ?
誰でも理想ないい医者に出会いたい、しかし、現実は残酷である。
職業の優劣、階級の高い、病気の違いなど同じような扱いはされるなのか?
医師の節操と職業の道徳はあるだろうか?
私たちには知らない。
この社会は元から平等ではない。社会の底辺に住んでいる人は、生活のために昼夜を追い払うために苦労し、超負荷労働をしていても、働く分の給料にもらえない。ドラマの中のように、疲れた体を引きずっていわゆるエリート層にパーティのために使うケーキーを送る。一生懸命の代わりにエリート層からもらう言葉は“今来たのか?おせいよー”彼は苦労の途中で事故をした。自分の楽しみだけに気にする。
支配人によって搾取したり、差別もあったりするが、このような人は一生懸命に生きるか、忙しくて死んでいるのか、それが社会の底辺である。
暴力、いじめにあう人は自殺して死亡して報復を選び、加害者は簡単に全てを忘れて、被害者はただ死亡の方式を選んで解放して報復するだけである。 学校のいじめぐらいはいつも重要とされていないが、いじめは本当に人が死ぬことに繋がる。暴力を受ける者は体から心理まで深刻な障害を得る。特に心理は人の一生を影響するかもしれないし、一人の運命はいじめによって変わる。東野圭吾の『悪意』が書いてるように、暴力を振る者は簡単に全てを忘れて新しい生活を始める。暴力を受けた者は心が歪め、悪夢の中に生きる。
もっと人の心を痛めるのは、暴力を振る人に対して周囲の人が不作為をするということだ。暴力を受ける者も沈黙を選び、口を閉じてしまう。一回の反抗でも、周囲の人の助けが一回でもあったものなら結果は異なるかもしれない。
学園いじめはだれのせいなのか?
学校、先生、家長、クラスメイト、それとも社会環境なのか?
それ以外にもこのドラマの中では世論の流れ、女性職業差別、人間の嫉妬、醜悪、家族のコミュニティ、人が更生していく様、などに議論されている。日本の集団自殺も避けることもなく、高い自殺率、そして自殺背景の原因についても述べられていた。ドラマの中では世の中の露出や隠された暗黒の醜悪を見た後に、また世の中の人間らしい温情を与える。
生活の本当の姿を見極めた後に依然とする生活を愛すること。
この世界は私たちが想像するほど良くないかもしれない。搾取したり、差別があったり、卑屈で、嫉妬したり、恨みを持ったりする。私たちが想像できる美しくないものはたくさんある。しかし、世界はそんなに悪くなくて、必ずだれかが冷たい世界の中で温めてくれるはずだ。それが人間性の深いところでもっとも人間らしい温情である。
私たち人間はひとつのコミュニティとして生きている。助け合いの部分もあるなら殺し合いの部分もある。それがもっとも人間らしいところかもしれないができるだけ苦しい生き方をなくすために人間は日々努力をしている。人間が最も汚れている人間性が存在する事実をちゃんと直面できるから始めてそれらのことをなくす始めの一歩ではないか。