宗教と科学
私たちは、身の回りに起こっているあらゆる出来事について、身体の感覚器官だけでは知覚できない多くのことを数字や科学というものに頼りながら把握している。
体温計によって風邪であることを再認識することもそう。
また、それらは今だけでなく過去や未来とが一連に繋がっているという時間的な因果関係があることなども理解させてくれる。
飛行機に乗れば東京に着く、食べ物を長くほっておくと雑菌が繁殖して腐る、今日が晴れの日でも天気予報によると数日後には台風がやってくるそうだ、など。
アップルウォッチの睡眠アプリでイマイチ睡眠の質が良くないことを知り、今日一日の調子が良くないことの理由にしたりもそう。
そして、そのそれらは決して個人だけの認識ではなく「客観的な事実」として多くの他者との共通認識できたりもする。
それは正に「宗教」
この世界の森羅万象の意味を与えてくれるのだ。
いつの時代も私たちは「宗教」というものを通すことで、身体の感覚器官を超えてこの世界を理解している。
もとい、私たちは「宗教」というものを通さなければ生きていくことが出来ない生き物なのかもしれない。
「宗教は科学的でない」
「私は宗教は信じない 科学しか信じない」
と言ってしまうのはちょっと認識違い。
自分を、科学を、相対化して答えるのであれば
「私は今時点、科学という宗教を信じている」
というのが正解。
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