つくりたい本のはなし
ギリギリおはようございますの時間ということにして、
おはようございます。佐古です。
朝というよりは明け方に目が覚めてしまったので、「つくりたい本」について思っていることをつらつらとお話ししてみようと思います。
わたしは、おそらく巷の平均より共感性が高い人間です。おそらくじゃないな、異様に高いかもしれません。
全く制御しない状態だと、朝のニュースの冒頭でアナウンサーが「おはようございます」って言っただけで泣こうと思えば泣けます。
「ああ、朝が来たんだな、おはようって言ってくれるんだ、おはようございます、ヴェ〜泣」
みたいな感じで。
共感性というのは想像力の高さとほぼ同義だと思っていて、自分ごとにしたり、または誰かや何かの気持ちになってみたりすること。
そういったことを、あまりにも日常的に強めにしてしまうのもそれはそれできついのですが、ある程度は必要というか、持っておいた方がいい力だと思っています。
例えば、遠い国で酷いことが起きている。
ああ、酷いな、やだな、と思う。
そのあと、酷いものを見たなで終わらず、あそこに自分がいたら?自分の国が酷いことをする側だったら?
そう考えられるだけで、その後の行動も、はたまた生き方さえも変わってくる。
人間はどうしても他者と関わりながら生きる生き物だから、自分だけがよしの世界にはいられません。そういうふうに割り切っていると思っていたとしても、本当の意味で自分だけがよしの世界は存在し得ないと思っています。
わたしがつくりたいと思える本は、
まいにちがたのしいと思えるようになる
もしかしたら何か面白いことが知らないうちに起きているかもと思う
考えすぎた頭を、面白く安らかにしてくれる
創作と現実のはざまを体験し、どちらもさして差がないことだと思う
誰かの生活を覗いて、励まされる
そんな、生きること(わかりやすくいうと生活)に近いところでつくられたものです。少なくとも、今つくろうとしている本は、そんな感じ。
前に書いたnoteでも言っていたように、それでも生きなきゃいけない時に、杖になるもの。それは自分の近くにあるし、置いておいた方がいい。
あまりにも離れず、かといってぶつかりもせず、そこにいる本。
極端に言うと、読み手がいなくたって、そこに立っていてくれる本を形にしたい。そんな存在には、やっぱり紙で、物理で、存在していて欲しいから、本にします。
わたしの杖なんです。これから一緒にやっていく作家さんたちの存在は、わたしの杖です。本当に作家さんたちのことを最大限にリスペクトし、心から大好きだと、思っています。
なんかラブレターみたいになってしまった。
でも嘘はないです。
そんな感じで、やっていきたいなと思っています。
どうかな、この先の自分が、あんまりここに書いたことと、大きく変わっていかないといいな。
ではでは、また。