Rainbow㉑
選考合宿➂
合宿初日は、バレエの基礎練習から始まった。受検者全員にバレエシューズが支給された。事前に申し込んだ書類から全員の足に合うサイズの靴を揃えておいたようだ。
練習は、レベルに応じて二つに分けられた。バレエ経験者は、よりレベルの高い表現力を身に付けるために、コンテンポラリーダンサーの咲人が担当した。バレエ未経験の受検者は、千夏が担当した。体育館に設置されたバーを使って、基本の姿勢から立ち方や足の使い方。千夏は、手拍子で拍を取りながらテンポよく指示する。「音を聞いて! 足で音を掴む! はいっ、はいっ、はいっ!」すると、開始から一時間では、バレエ初心者全員が一糸乱れぬ動きで拍に合わせて足を揃えることができた。
「千夏さん、さすがです! 僕ではこんなに早く教えられないです。バレエ教室を開いた方がいいんじゃないですか?」咲人が給水タイムに、水の入ったペットボトルを千夏に渡しながら言った。
「ううん、あの子たちの素質がいいのよ。そっちはどう? めぼしい子は、いた?」千夏はタオルで汗を拭きながら、咲人に聞いた。
「それがですね、いるんですよ!」咲人は目を大きくして言った。
「どの子なの?」千夏は、咲人が指さす方を見た。
「男の子なんですけど、ほら、あの青いシャツの彼です」と、指をさしたのは子ども劇団で昨年まで真里と同じダンスメンバーをしていた宏太だった。
「彼は、才能ありですよ。ただ、まだ自分の殻を破り切れていないというか。……基礎は完璧なのに、表現力に乏しい。って感じですね」残念そうな顔をしながら咲人が水を飲む。すると、二人の後ろからエリーシャが現れた。
「まるで、昔の千夏を見ているようだわ」
「え、どういうこと?」不思議そうな顔で千夏はエリーシャを見た。
「あなたはバレエの神童の他に別のあだ名があったの知らなかった? 『精密機械』よ。寸分の狂いもなく拍を踏む精密に作られたマリオネット」エリーシャは、体育館のフロアに座り一人柔軟体操を始めた。
「マリオネットって『操り人形』のことでしょ? 酷い言われ方ね」
「でも、それもクラシックをやっていたときの話。あなたがモダンバレエに転向したとき、誰もがあなたの失敗を願っていた。私を除いてね」
「ええ、それは知ってる。でも、世界に挑戦するには自分の殻を破らなきゃ!って思った。本当にバカよね、私」千夏は水を一口飲み、下を向いた。
「本当に、あなたはバカよ! 自分の足を刺すなんて。あなたがモダンバレエに転向したのは、正しかった。誰もがあなたの才能を本物だと確信していた。マリオネットは、自ら糸を切って踊り出した!って誰もがあなたに期待していた。それなのに、……バカよ」エリーシャは、淡々と柔軟体操をしながら、千夏と会話をしている。しかし、エリーシャの心の中では、今でもあの時バレエ界から対等に勝負できる仲間が喪失した悲しみを引きずっていた。――千夏と共に踊る日を夢見ていたからだ。
「さてと、一曲踊ってくるわ!」そう言ってエリーシャは立ち上がり、体育館中央に立ち、足の位置を整えた。右足に体重を載せ、左足は大きく後ろに広げている。上半身は両手を翼を広げるように開いている。
「『眠れる森の美女、ブルーバードのヴァリエーション』」千夏は、エリーシャの美しい立ち姿に忽ち見惚れていた。
曲が流れ、エリーシャが踊り出す。男性パートで踊られるソロの曲だ。青い鳥を表現したその踊りは、ジャンプの時に足を何度も入れ替え、高く素早く美しく飛び上がる。休憩していた受検者たちも、休むのも忘れてエリーシャの踊りに見入っていた。エリーシャが最後のジャンプを終え、片膝を床につけて両手を広げた瞬間、大きな拍手が沸き起こった。エリーシャは、ゆっくりと立ち上がり丁寧なお辞儀をして千夏と咲人の前に戻った。そして、体育館中に聞こえる大きな声で、みんなに伝えた。
「さあ、練習はここからよ! あなた達のレベルをまだまだ上げていくわよ! 覚悟して!」エリーシャは、そう言い残して体育館を去っていった。
千夏と咲人は、顔を見合わせて「本当に自由な人だ」と咲人が言った。「私たちの士気も上げてくれたのね」と千夏は微笑み、練習の再開を受検者たちに告げた。(つづく)
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