Rainbow③
不協和音-①
四月になり、石垣島の商業高校の三年生になった真里は、漠然とした夢を持っていた。それは、この年頃にはよくありがちなことだ。得意なダンスを生かして、エンターテインメントパークのキャストをしたい。とか、テレビなどに出演できるバックダンサーになりたい。とか。希望や夢が先行して頭の中を巡り、現実や挫折は後からどうにでも対処できる。と、鷹を括っている節がある。それが「若さ」だと言えば、その通りなのだ。しかし、真里に限っては、自身の内面に「漠然」が染みついているため、彼女の潜在能力を存分に発揮できない要因になっている。
真里が高校進学を考えるときも、「観光」という言葉から「エンターテイメント」を連想し、その漠然としたままで受験したばかりに、面接で「本校の観光コースを志願した理由は、何ですか?」と訊かれたとき、真里はようやく、自分が受験した高校には「観光コース」以外にも、「会計システムコース」や「情報ビジネスコース」があることを知った。大した理由もなく「観光コース」を選んだことをそのまま面接官に伝えるわけにはいかないので、その場凌ぎの言葉を見繕って「幼い頃から郷土の文化に興味がありまして、観光コースでそれが学べたらいいなと思い受験しました」と適当なことを言って応えた。すると、三人いる面接官の中の一人。はっきりとした目鼻立ちに、髪型はパイナップルのようで、サイドカットにパーマ。髪の色は赤茶色。青色のジャケット、グレーのパンツの裾からは長い脚が飛び出している。座っていても分かるくらいにすらっとした体型の、明らかに左に座る中年とは違う雰囲気を纏った40歳半ばぐらいの男性面接官が、大きな瞳を真里に向け、両手の甲の上に顔をもたげながら、少し挑発的というか興味本位とでもいうような眼差しで真里を見つめ、言った。
「へえ、地域の伝統文化に興味があるっていうのは素晴らしい心掛けね。島を愛する者は、島からも愛される。合格したら、もっと島の伝統文化を学ぶといいわ。でも、本当は、何を学びに来たかったのかしら?」
真里は、彼の最後の一言にぎくっとした。動揺が表情に出ていたかもしれない。笑顔が引き攣っているのを自覚しているあたり、それは相当なのかも。青いジャケットの面接官は、まるで狩をするライオンのように、真里の目を捉えて離さない。そうなると、真里はもはや諦観した草食動物のように、首を項垂れるしかなかった。真里の目に自分の足と床が見え掛けたとき、豪快な笑い声が面接室に響いた。
「あなたたちは、本当にそっくりね。……学びの門は何人にも常に開かれている。あなたが学びたいことは、あなた自身で見つけなさい。与えられた学びは、腐った食材。新鮮な食材が欲しければ、自分の目で目利きし、足を運び、手塩にかける。そして、最高の食材に出会ったのなら、それを心に刻みなさい」
彼のその言葉は、二年経った今も真里の心に遺っている。
高校に入学したとき、面接官だった青いジャケットの先生は既に高校にはいなかった。真里は、同じコースの先輩に、あのときの先生はどこの高校に転勤されたのかを聞いてみたことがあるが、彼の転勤先は誰も知らなかった。おそらく先生を辞めたのではないかと、先輩は言っていた。その先生の名前は楠田朋樹という。真里は、「青いジャケットの彼」と記憶の引き出しの中にしまっておくことにした。
商業高校の観光コースには、海外からの観光客にも対応できるように、中国語や英語の言語習得があり、その他にもマーケティング戦略の授業などもあった。実践する機会も授業のプログラムに組まれていたので、中国から来島する観光客を相手に島の紹介もした。
真里が何よりも楽しみだったのは、郷土の文化や歴史を学ぶ授業だ。面接のときは適当に応えてしまったが、実は本当に学びたい授業の一つだった。
真里は「ウィングキッズリーダーズ」という子ども劇団に、小学四年生の頃から入団している。その劇団では、石垣島の郷土文化や歴史を題材に毎年公演を行っている。年間のカリキュラムには、郷土の学習も組まれている。劇団のメンバー全員でバスに乗り、石垣島の歴史をガイドの方が詳しく説明してくれる。メンバーの殆どは、ピクニック気分で参加していたが、真里は、ガイドの方の説明をノートにメモしたり質問したりしていた。
実をいうと、真里の家族は、石垣島とは縁もゆかりもない。真里の両親は、父親の史は埼玉県出身で、母親の千夏は北海道出身。二人は東京で知り合って結婚し、真里を産んだ。真里が小学二年生の十二月に、家族旅行でたまたま石垣島を訪れたとき、ウィングキッズリーダーズの公演があり、観劇したことをきっかけに、真里は、「この劇団に入って、踊ってみたい!」と思った。その次の年も、公演を観劇するためだけに家族で石垣島を訪れた。両親は、真里の熱意を尊重して石垣島の白保村にある海岸近くの家を購入し移り住んだ。真里にとって、石垣島の歴史を学ぶことやこの劇団で踊ることは、「自分が自分らしく生きていること」だと感じていた。
石垣島には、「オヤケアカハチ」という人物の英雄談が語り継がれている。一五〇〇年代の八重山は、旱魃などで自分の今日一日の生活さえ苦しい状況の中、琉球王府からの年貢の取り立てが年々増え、民たちの不満は増していった。そんなときに先導役になったのが、オヤケアカハチだ。彼は史実では、琉球政府に楯突いた逆賊と罵られている。だがしかし、見方を変えれば、八重山の民たちの代弁者であり、民たちの身代わりとなり自らの命を賭した英雄。――真里は、この「オヤケアカハチ」の話が好きだ。リーダーとして、自ら嫌われ役になり、正義を盾に強大な力と対峙したオヤケアカハチ。まさに、真里が目指しているリーダー像だった。
高校三年は、劇団卒業の年になる。真里は役を演じるよりもダンスが好きなので、小学四年からこれまでの七年間をダンスチームで演舞している。
今年は最後の年だけれど、気掛かりなことが一つあった。それは、昨年、役者希望者が二人辞めてしまい、ダンスメンバーから役者への転向が必要なことだ。真里は出来ることなら最後までダンスチームで卒業したいと思っている。
昨年は、ダンスチームのリーダーとして、チームメンバーをとことん鍛えた。手の角度や表情など、細かなところまで声を掛けて指導したし、OBやOGからも「ダンスの仕上がりがいい」と褒められた。今年は、これまでのダンスに少しアレンジを加えてみたいと真里はいくつかの構想を頭の中で描いていた。
『きっと今年もダンスリーダーを任されるはず。だって、劇団のメンバーの中で私が一番踊れるんだから』
真里は、朝の日課のダンスを終え、砂浜の流木に座りながら海を眺めた。そして、明日から始まる劇団の稽古のことを考えていた。
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