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逆時の住人(3)

 澄みきった二月の空を見上げると、桜の香が鼻腔をくすぐった。貴音はふとした拍子に冬の空気の中に春の訪れを感じ、思わず深呼吸をした。桜の蕾はまだ固く、花開く日はもう少し先だろう。彼女はこの通学路を何度も歩いてきたが、今朝の空気は何かが違うように感じられた。
「貴音、おはよう!」
 後ろから元気のいい声が貴音を呼ぶ。振り返ると洋平が手を挙げて歩いて来た。
「おはよう、洋平。ねえ、今日の放課後ウチに来ない?」貴音の言葉に洋平が不思議がった。
「どうしたの? 貴音からウチに誘われるのは初めてだから、何か変な感じだな」
貴音はフンっとそっぽを向いて、「別に来たくないなら来なくていい!」と言った。
「いやいや、行かないとは言ってないよ! 行くよ行く!」洋平は少し面倒くさがって言った。貴音はすぐにへそを曲げる癖がある。だから、洋平は貴音がへそを曲げないように細心の注意を払うのが常だった。
「じゃ、放課後に家で待ってるね!」貴音は笑顔を洋平に向けてそれぞれの教室へと別れた。

放課後に貴音と洋平は祖父の書斎に居た。
「何、この部屋!」洋平は思わず叫んだ。
「ちょっと、母さんに聞こえるでしょ! 声のボリューム落としてよ」貴音の忠告に洋平は「ごねん」と顔の前で両手を合わせた。
「それで、手紙には何て書かれてたの?」洋平は昨夜のことを貴音から教えてもらっていた。
「まだ開けてないの、手紙。一人で見るのが少し怖くて」貴音は洋平の前に手紙を置いた。
「もしさ、ここにおじいちゃんの知られざる過去が書かれていたとしたら、どうする?」貴音が不安と興味の入り交じった複雑な表情で洋平に聞いた。
「いや、それは、……受け留めるしかないでしょ。俺たちには、どうすることもできないし」洋平が口を尖らせて言った。
「んぅん、それはそうだけど。想定外過ぎると気持ちが着いて行けるか心配」
「とにかく、開いてみよう。おじいちゃんが三年前に書いた貴音へのメッセージな訳だろ。言ってみれば過去から現在への手紙。物理学者のおじいちゃんらしい粋な演出じゃないか」
洋平は、ワクワクした面持ちで手紙を開けるよう、貴音を見た。
「確かに、おじいちゃんらしい手紙の渡し方ね。それじゃ、開いてみるね」貴音は、封の端をハサミで切り開き、中から手紙を取り出した。二人は、祖父の少し丸い柔らかな字体を懐かしく見つめ、手紙を読んだ。

「貴音へ
 君にこの手紙を書いている今は、二〇二一年の二月だ。私は、ここに研究の全部を記す。貴音には初めて言うが、私の研究はワームホールの存在を証明することだった。ワームホールとは、時空どうしを行き来する通路のことで、私はこの理論を証明することに成功した」
二人は手紙の途中で読むのを止め、顔を見合わせた。
「え、それって世紀の大発見だよね。何で公表しなかったの?」貴音が洋平に聞いた。
「ワームホールって、時空を超えて異次元の世界に行く、あれでしょ? 漫画とかで主人公が異次元に行く物語があるけど、そのときに発現するやつでしょ」
二人は手紙の続きが気になり、再び手紙に目を落とした。

「しかし、私はこれを公表することに抵抗があった。なぜなら、彼らの世界は彼らのものであり私たちが立ち入ってはいけないからだ。彼らは、『逆時の世界』を生きている。もし、彼らから何らかの報せが来たら、その時は誰かが彼らの世界へ行かなければならない。それが私と彼らとの約束だからだ。
この手紙を貴音が読んでいるってことは、きっと私はこの世にいないのかもしれない。その時は貴音、君に私と彼らとの約束を果たしてほしい。勝手なお願いで申し訳ないが、君なら私の思いを繋いでくれると信じている。 おじいちゃんより」

「逆時の世界って、時計が逆さまってこと?」洋平が首を傾げた。
「時間を遡る世界ってことかもしれない。それよりも『報せ』って何? 向こうの世界からこっちの世界に何か来るってことかな」貴音は、手紙の端に走り書きのような数字を見つけた。
「ねえ、これ見て。何か数字が書かれている。ひょっとして、何かのパスワードかな?」
「そうかもしれない! けど、どこで使うんだ? このパスワード」二人は秘密の部屋を見て回ったが、パスワードを入力するような所は見当たらなかった。
貴音は首を傾げて言った。
「全然それらしきものはないね。手紙にもこの数字については書かれていないし。おじいちゃんが何かのメモで使ったのかもね」
「いや、きっと何か意味があることなんだと思う。けど、今はまだ使う時ではないんだよ」洋平はまだ秘密の部屋の中を探しながら言っていた。ふと思い立ったかのように洋平が貴音に聞いた。
「時間って不思議だよね。もし戻れるとしたら、貴音は何を変えたい?」
洋平の質問に、貴音はすぐには答えられなかった。しかし、洋平の視線は貴音に固定されたまま、答えを待っている。
「変えたいことなんて、そうそうにないかな。だって今こうして生きているってことは、あ過去で苦しいことがあってもそれを乗り越えて来たという証でもあるわけでしょ。過去を変えてしまったら、今の私がどうなってしまうんだろうって、不安になるよ」
洋平は微笑みを貴音に向けた。
「そうだね、俺たちの今は過去を乗り越えた証なんだよな。貴音はやっぱり凄いな! 考え方が大人って感じ」
「そんなことないよ。おじいちゃんとあれこれ話ししていると、いろいろと考えさせられることばかりだったから。きっとそのお陰だよ」
 貴音は、微笑んだ。しかし、その笑顔はどこか寂し気な顔だったので洋平は話題を変えた。
「おじいちゃんは他にも貴音に遺しているかもしれない。『かぐや姫物語』の絵本の中に、ヒントみたいなものはないの?」
貴音は、絵本の表紙に昨夜のように手を当てても何も起きなかった。これは月明かりにのみ反応する細工が仕掛けられているらしい。貴音は表紙をめくり絵本を開いた。すると、絵本の所々にマーカーペンで線が引かれていた。貴音は試しにその箇所を声に出して読んでみた。
「いまはむかし、竹とりのおきなというおじいさんがおりました」貴音がそう言うと、秘密の部屋の中にあるアーチ状の筒がガタンと音を鳴らした。その近くにいた洋平は驚いて床に尻もちをついた。
「何? いまの」洋平が起き上がりながら聞いた。
「分からない。けど、あの機械が動いたってことは、この絵本に引かれている文字はあの機械を動かすための言葉なんだと思う」
「けど、途中で止まったってことは何か他にも動力源になるものが必要ってことだよね?」
洋平は腰に両手を当て、上から下、右から左へと秘密の部屋を見回した。よく目を凝らして見ると、アーチ状の機械の壁に窪みが見えた。洋平はその窪みに触れてみた。雫型の窪みのように感じられた。
「貴音、ここの窪みを触ってみて。何かを填めるところのような気がするんだ」洋平は貴音を呼んだ。
「本当だ! 雫型の窪み、――。もしかして!」貴音は慌てて書斎を出て行った。洋平は一人、部屋に取り残され手持無沙汰で秘密の部屋を壁沿いに歩いた。書棚側の壁には、火星やオリオン座。しし座などの二月に見られる星座が描かれていた。星好きなおじいちゃんらしい部屋だなと、洋平はおじいちゃんとの思い出を思い返した。

 洋平と貴音がまだ小学校二年生だったとき。二人はおじいちゃんと星を見るために、書斎でお泊りをした。一人ずつ天体望遠鏡を覗き込んで、星の場所や名前をおじいちゃんから聞いた。あの時も確か時期は二月だったような気がする。おじいちゃんは、取り分け「オリオン大星雲」について熱心に話しをしていた。もちろん、難しい言葉は使わずに子どもが理解できる言葉で優しく話しをしてくれた。
「いつかオリオン大星雲の謎を解き明かすのが、私の夢なんだ」とおじいちゃんは、窓辺に腰掛け夜空を見上げながら言った。洋平はその時のおじいちゃんの横顔を思い出していた。キラキラとした少年のようなおじいちゃんの瞳は、洋平の心をワクワクさせた。その顔を思い出していると、何故か目尻に涙が溢れてきた。

 「洋平、あった!」貴音が書斎に戻って来るなり声を弾ませて言った。
「何があったの?」洋平は貴音に気づかれないように、指で目尻を拭って貴音に笑顔を向けた。
「これ! おじいちゃんから貰ったペンダント。……目が赤いけど、どうしたの?」貴音が洋平の顔を下から覗き込んだ。
「いや、何でもないよ。ただ目に埃が入っただけだよ」洋平はもう一度笑顔を貴音に向けた。
貴音は、心配な表情を見せたが洋平が笑顔を向けていたのでこれ以上心配すると返って洋平が気まずくなるような気がして話しを元に戻した。
 「おじいちゃんが亡くなる前に、私に渡した雫型のペンダント。あの機械の壁の型にそっくりなの。もしかしたら、――」
「合うかもしれない!」洋平は貴音と同じ言葉を同時に言った。二人は、早速ペンダントを型にはめ込んでみた。すると、ぴったりはまったので二人はハイタッチをして喜んだ。しかし、機械は何も反応を見せなかった。
「どうしてだろう? 動力源になりそうだと思ったのに。……」貴音がしょんぼりと肩を落とした。
「きっと他にも不思議な仕掛けがあるんじゃないかな」洋平はそう言うと、ふと小学二年生の時のお泊りした夜のことを再び思い出した。
「貴音、思い出した! このペンダントだよ。そうか、ここで繋がるのか」洋平が興奮している姿を見て、貴音が説明を求めた。
「どういうこと? 何と何が繋がったの」
「貴音、覚えているか? 小学二年の時に、星を見るってここで寝泊りしたろ。そのとき、俺見たんだよ。おじいちゃんがこのペンダントを窓辺に立って月の光に当てているところを!」洋平は貴音の両肩を掴んで、キラキラした少年のような瞳で貴音を真っ直ぐに見つめた。貴音は頬を少し赤らめ、洋平の手から逃れるように体を後ろにひねって背中を向けた。
「と、言うことは月の光をこのペンダントが吸収して動力源となるってこと?」貴音は、洋平に背中を向けたまま話した。
「そう、そういうこと! このペンダントの石は何?」
「確か、アクアマリンって言ったかな」
 洋平はケイタイで「アクアマリン」について調べた。
 アクアマリンは、和名を「藍玉」という。月明かりのような僅かな光でも美しく青く輝くベリル系の石。航海の安全を祈りお守りとして持たせる風習もあったようで、別名を「人魚石」や「夜の女王」という。

 洋平は、ケイタイを貴音に見せた。
「これは飽くまで推測だけど、全ての動力源は『月』が関係しているんじゃないかな?」洋平の推測に、貴音も賛同した。
「そうだね。かぐや姫物語やアクアマリン。この二つは月と関係があった」
「それに、ほらこれ」洋平が秘密の部屋の書棚側の壁を指さした。
「壁に星座や惑星が描かれている。昨日の夜は気がつかなかった。あ! おじいちゃんが研究していた『オリオン大星雲』もある。これって今の時期によく見える星の位置だよね」貴音の言葉に、洋平ははっとした。
「俺、気がつかなかったけど、これが二月の星の位置だとしたら。――。貴音、もう一度手紙を見せて!」
「いいけど、どうしたの?」
『20250212』手紙の端に書かれていた数字を洋平は見つめた。
「やっぱりそうだ! これはパスワードではなく、日付だったんだ。次にワームホールが開く日にちが記されていたんだ。2025年2月12日、その日は満月なんだ。えっと、今日が2025年2月3日だから、あと九日後にこの機械が最大の動力を得ることができる。その時に、俺たちがここを通り抜けた先はきっと――」
「ちょっと、待って! 俺たちって言っていたけど、私はまだ心の準備が出来ていない」貴音は洋平の言葉を遮って言った。
「貴音、おじいちゃんの研究が成功したんだ! 研究の全てを知ることができるのに、貴音は見ないのか? もしかしたら、おじいちゃんが貴音に遺しているものが向こうの世界にもあるかもしれないんだぞ」洋平は貴音を見つめた。
「そうだとしても、向こうに行って戻って来られなかったらどうするの? それに、あまりにも危険過ぎる。……」貴音は下を向き、不安な表情を見せた。
「分かった。じゃ、俺一人で行く! それならいいだろ?」洋平は機械の側へと歩み、触れた。
「ダメだよ! それじゃ、洋平が危険な目に合う。もし、洋平が戻って来られなくなったら、私……」貴音は堪えきれない感情が喉を詰まらせている感覚を覚えた。
「それなら、貴音。一緒に行こう、おじいちゃんが見つけたもう一つの世界へ」洋平は機械から離れ、貴音の手を取った。貴音の手は震えていた。こうやってお互いに手を取り合うのは何年ぶりだろう。洋平の脳裡に幼き頃の貴音と過ごした日々が浮かんでいた。
 幼い頃は、貴音が何でも恐がらずにやっていく方で、洋平はいつも貴音の背中を追いかけていた。でも今は、洋平の胸ぐらいまでの背丈しかない貴音が妹のように洋平は思えた。
 ――貴音を、守ってあげたい。
 そんな感情が、洋平の胸の中を熱くするのであった。

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