Rainbow⑫
恵み⑤
真里が劇団を休んでから約二ヶ月が経った。暦では七月初旬を迎えていた。この時期の石垣島は、南の海上で温められた海水が上昇気流と共に積乱雲となり、スコールや熱帯低気圧を発生させ、後に台風となることが多い。ニュースの天気予報では、一つの熱帯低気圧が台風に変わったと言っていた。
憂鬱な日々が続いているだけに、台風で家に閉じ込められるとなると、琴美はやり切れない気持ちが募るばかりだった。琴美は真里が再び練習に戻ってくることを信じて待っていた。真里がいなくなってからの劇団は、だらけ切った空気に包まれていた。琴美はそれに危機感を抱いていた。子ども劇団の総合リーダーは琴美だが、実際には真里がいてくれたからこそ、ピリピリとした緊張感を保っていた。真里の劇団に対する思いは、他の誰よりも一番に琴美は理解していた。彼女のように情熱を注いで他を圧倒するような存在に琴美は憧れつつも、自分にはできないと身の程を思い知らされていた。
空回りする琴美の頑張りは、劇団員たちの派閥を生み出し、それぞれの派閥から劇団に対する不満が渦のように肥大化していった。OBのマサキもこの悪しき空気感に手をこまねいていた。「このままでは、十二月の公演に影響が出てしまうのではないか。」琴美とマサキは、この危機を回避しようと思案に暮れていた。そんなとき、ある事件が起きた。
その日は、練習開始時間の午前九時になっても人数は極少数しか集まっていなかった。後から遅れてきた団員たちに遅刻しているという認識はない。当たり前のように体育館に入ってきて、一緒に遅れてきたメンバーと話しながらシューズを履いたり軽いストレッチを始めている。結局、練習は五十分遅れで始まった。これでもまだマシな方だった。練習が始まっても、私語は収まるどころか次第にあちこちに伝播していく始末。それを見ていたマサキが、劇団員たちに練習中の私語を慎むように注意した。その日の練習終わりだった。マサキは、劇団保護者会の役員から話があると会議室に呼ばれた。しばらくして会議室から出てきたマサキは、誰とも目を合わせることもなく、足早にその場を立ち去った。その次の練習から、マサキも劇団に顔を見せなくなった。琴美は不審に思い、保護者会の役員に事情を聞いたら、根も葉もないことを言われて驚き、そして怒りが込み上げてきた。
「マサキくんと琴美ちゃん、付き合ってるんでしょ? 練習中も二人でイチャイチャしていて、全然練習に集中していないって、他の子たちから聞いたよ。まあ、琴美ちゃんもお年頃だから分からなくもないけど、でもダメだよ! リーダーがしっかりしてくれなきゃ、劇団の統率なんて取れないよ」と悪気のない保護者会の方たちの言葉。しかし、実際に見てもいないことを、誰かがそう言っていたから...と、安易に信じていいのだろうか。そして、最悪なことに、善意で練習を観てくれているマサキさんの行為をも無下にする...。琴美は、目頭が熱くなってきたことを感じながら、保護者会の役員たちに詰め寄った。
「誰が、そんなことを言ったんですか? 誰がこんな根も葉もない嘘を言って回ってるんですか! 教えてください!」
琴美の怒りは沸点を超えていた。その剣幕に、保護者会の役員たちは恐れおののき慌てた。普段の琴美は、大人しく人懐っこい子だから、余計にそう感じたのだろう。しかし、琴美の本当の気持ちは虚しくも彼らには届かなかった。琴美の豹変ぶりを見て、彼らは劇団員から聞いた情報が本当だったのだと、誤った事実を真実だと確信するのだった。彼らの思考からすれば、琴美の怒りの根源は、自分とマサキとの関係を指摘されたことにあり、その怒りを抑えることができずに、私たちにまで当たってきているのだ。これも若気の至りに過ぎない。私たちにも若い頃に似たような経験があったな...などと浅はかな思いを募らせるのであった。
琴美は、呆れ疲れ果てた。なぜ大人という生物は、自分の価値観や尺度が見誤っているかもしれないと、疑う心を持たないのだろう。時代は常に移り変わり、その変化に柔軟なのは、いつだって成長続ける子どもたちの方なのに。凝り固まった使い古された大人のそれではなく。
「これ以上は私一人の力では限界だ」と感じた琴美は、途方に暮れる帰りの車中、助手席でケータイを手に取り熱心にメールを打っていた。彼女のメールの宛先は、真里の母の千夏だった。(つづく)
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