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Rainbow ㉓

選考合宿⑤

 選考合宿一日目の午後の練習終わりのミーティング時、エリーシャから一次審査の基準と方法が全員に伝えられた。
「『基本の動作、表現力、リズム感』この三つをどれだけ美しく魅せることができるか。それが審査の基準よ。審査には特任コーチ二人も加わってもらうけど、最終的な判断を下すのは私。明日の審査は二人一組で行うから自分たちで組んでおいてちょうだい。それと、先に言っておくけど明日の審査では、ペアを組んだ中で、次に進めるのはどちらか一人だけと心しておくことね。誰かを蹴落としてしか、この先のステージへは進めない。既に競争は始まっているのよ」
 エリーシャの言葉に会場中が騒然とした。次のステージに進むためには、誰かを蹴落とさなければならない。しかも、自分で蹴落とす相手を選ばなければならない。何て過酷な選択をさせるのか。千夏には、皆の動揺が目に見えて分かった。受験生は、一日の練習を共にして一体感を得ていた。その受験生たちの雰囲気が変わりつつあることを千夏は感じていた。皆が周囲を見ながら、心の中で「誰となら勝てるか」と模索しているのが分かる。すると、一人の受験生が立ち上がり真里の座る前に堂々と立った。百合だった。彼女は、真里を見下ろしながら言った。
「真里先輩、私と組んでください! あなたを蹴落として私が次に進みます!」真里は、隣に座る琴美と顔を見合わせた。そして、立ち上がった。
「私は、あの男を超えなきゃいけないの。だから、百合には負けない!」真里は、咲人を指さして百合の挑戦を受けて立つと宣言した。二人は目を合わせ互いの闘志をぶつけ合った。この二人のやりとりを見て、他の受験生たちも二人組を組み始めた。エリーシャと咲人は高みの見物でもするように、顔に笑みを浮かべながら見ていた。
 千夏はエリーシャに小声で言う。「ちょっと酷な方法じゃない?」すると、エリーシャは当然のごとくこう言った。
「成功を手にするものは、誰かを踏み台にしなきゃ頂上まで到達できない。ここは、それを教える場なのよ」
 千夏は何も言い返せなかった。自分自身もバレエのコンクールでは一番高い頂を目指して、下を見ることなく踊っていた。だがその下には数多くの同志たちが踏み台となっていたことを、千夏は思い知らされた。競争の世界では、それが当たり前なのだ。しかし、母親としては複雑な気持ちになった。「自分の子どもが誰かを蹴落とすために踊る姿を見るなんて、耐えられるだろうか」と考え込んでいたところに、咲人が先程のエリーシャと千夏のやり取りを見ていたらしく千夏の傍に来て言った。
「あんまり考え込まない方がいいですよ。エリーシャさん、こうと決めたら曲げない人ですから。まあ、恨まれることも多いですけど彼女の本当の思いやそれを実現するためにどんな努力があるのかを知る人は、みんなこう言うんですよ。『悪魔のような試練を与え、天使の心を持って人に尽くす』ってね」
「あ! だから、『悪魔な天使』って言われてるの?」千夏は、以前からエリーシャの俗称に疑問を持っていた。相反する意味が混在した言葉だったからだ。咲人の説明で、千夏はエリーシャがこれまでどんな人生を歩んできたのかを少しだけ垣間見た気がした。でも、それはきっとほんの一部で本当は私なんかでは想像もできないほどの苦しみや悲しみを経験しているのだろう。と、千夏はエリーシャの背中を見て思うのだった。

 選考合宿二日目。午前中はそれぞれの練習時間に充てられた。午後からの一次審査に向けて、会場中が張り詰めた空気に包まれていた。
「この様子だと、どんな励ましの言葉もきっと受け入れてもらえないね」千夏は体育館の隅で、咲人に嘆いた。
「俺も何度か同じ場面を見てますが、千夏さんが感じているように、この時ばかりはどんな言葉も無意味です。見守りましょう、彼らの勇姿を」咲人は、床で柔軟体操をしながら受験生たちを見つめていた。
 「そう言えば……」と、咲人が言いづらそうに話しを切り出した。
「そう言えば、天童南乃花って人を知っていますか?」
 千夏は、二十年ぶりにその名前を聞き驚いた。
「咲人くん、どうして天童南乃花さんを知ってるの?」咲人は、千夏が警戒心を持って聞き返してきたことを察した。やはりエリーシャから言われたように、まだ「その時」ではなかったのかもしれないと思った。だが、話しを途中で終わるのも不自然に思い、話しを続けた。
「いや、俺の知り合いのダンサーが以前に、天童さんからバレエを習ったって聞いたから、千夏さんの知ってる人かな? と思っただけです。深い意味は無いですよ」自分でも苦笑いだとはっきり分かる表情を千夏に見られないよう、咲人は体を捻って柔軟体操をしているふりをした。
「知ってる。……と言いたいところだけど、詳しくは知らないの。彼女とはほんの少し、共にバレエで繋がっただけ。私はそのあとすぐに訳あって、バレエを辞めたから」千夏も床に座り柔軟体操を始めた。二人とも時間を持て余していた。
「エリーシャさんから、千夏さんのことは少しだけ聞いてます。……そのあたりのことも。すみません、勝手に」咲人は、隣で開脚する千夏に謝った。
「ううん、いいの。エリーシャが言ったのなら何か考えがあってのことでしょう。別に気にしてない。逆に、私の過去を知って困ったのは咲人さんの方じゃないの?」
千夏は微笑みを咲人に向けた。
「いや、……困ったというより、正直にいうと『残念だな』と思いました。こんなにも実力がありながら、辞めてしまうなんて残念です。あ、気を悪くしたらすみません。俺、思ったことをつい口にするタチで」
「真っ直ぐなのね! エリーシャにも同じこと言われた。でもあの時、私は自分が許せなかった。南乃花さんを階段から突き落としたのは、きっと私なんだと思う。彼女が物凄い勢いで成長していく姿を見て、正直焦りを感じていた。世界に挑戦したいという思いとは反対に、周りの実力に追いついていく自信を無くしてた。だから、無意識のうちに南乃花さんをあんな目に。……」咲人は、涙を必死に堪える千夏の横顔を見た。
 千夏は立ち上がり前に歩み、ぐうっとひと背伸びしてから咲人を振り返り微笑みを向けた。
「ごめん、この話はやっぱり止めておきましょう!」その微笑みは、弱々しく淋しげだと咲人は思った。

 昼食を終え、緊張で表情が固い受験生たちが舞台前に集められた。ここで、エリーシャから一次審査の流れを教えられた。
「私は、あなたたちの実力がどれだけあるのかを見極めたいから観ることに専念するわ。指示は全て咲人が行うから、それに従うこと。いいわね!」
「はい!」と、受験生たちが声を揃えて返事をした。
 千夏は、この子たち全員を合格にしてもいいのではないかと今も思っているが、言葉にするのはやめた。エリーシャが決めたことのだ。きっと彼女は、私よりも遥か先を見据えているし、その責任や重圧もあるに違いない。千夏はそう思うことで自分を納得させた。
 ビデオカメラがスタンドに設置され、咲人が、昨日受験生に記名させて置いたエントリーシートから一組目の受験生を体育館中央に呼んだ。まずは足のポジションを指定してから、手拍子でテンポを作り指示を送った。その指示を受けて瞬時に動けるかが重要になる。一組およそ三分ほどで行われ、十組ごとに間隔を取って休憩が入る。全部で五十組ある試験だが、咲人が慣れた様子でテンポよく次々と受験生たちを誘導したり、指示を送ったりしていたのであっという間に最後の十組になった。
 咲人が受験生の名前を呼ぶ。真里と百合が立ち上がり、「よろしくお願いします」と体育館中央へと歩いた。
「じゃ、足は一番と六番で両腕は自然に広げてポーズを作って、まずはリズムを感じて。……このリズムに合わせて俺が出す指示を正確に美しく表現して」
 真里と百合は、体を正面に向け、それから両手を斜め下にしてポーズを取った。咲人は、手拍子でしばらくテンポを聴くように指示して、動き出しの所作を事前にいくつか指示した。
 「海賊、メドゥーラのヴァリエーション」だと千夏は気づいた。これは中学の時に、コンクールで踊ったことのあるヴァリエーション。三拍子で行われる軽快なステップとジャンプ、回転技もある曲だ。二人は指示された動きをテンポに合わせて正確に踊っている。まるで双子の姉妹が一緒に踊っているように千夏には見えた。真里は、百合の息遣いに合わせるように寸分違わず踊っている。真里の表情には余裕が見えた。楽しそうに踊る真里を見るのはいつぶりだろうか。千夏の目に涙が浮かんでいた。それを見たエリーシャが言った。
「真里を見ていると、あの頃のあなたを思い出すわ。見て、まるで音符の上で踊ってるみたい。彼女の体から音楽が聞こえてくる」
 千夏は、人差し指で目尻を拭い口を覆った。今にも声を出して泣いてしまいそうだった。そんな千夏の前に、エリーシャがタオルとペットボトルの水を置いた。千夏は、それらを受け取り気持ちを落ち着かせた。すると、エリーシャが独り言のように呟いた。
「百合は、気づいたようね。真里の本当の恐ろしさを」
 千夏は、驚いた。真里の本当の恐ろしさ? 千夏にはそれが何のことなのか分からなかった。エリーシャは、それ以上のことは話さず真里と百合、二人の踊りを見つめていた。

 一次審査の試験が全て終わり、その場で審査結果が発表された。二分の一の確率で、落選者が決まる。皆、祈るようにエリーシャを見ていた。エリーシャは、合格者を番号で読み上げた。落胆する者、歓声を上げる者、それぞれに思いの分だけ感情を顕にしていた。
 真理と百合の番が来たとき、エリーシャの声が止まった。すると、会場中がしんと静まり返った。真里と百合に関しては、どちらも甲乙つけるにはあまりにも難しいハイレベルな踊りだった。皆が固唾を飲んでエリーシャの言葉を待った。
「五十一番!」エリーシャがそう言ったとき、歓声を上げたのは百合の仲間たちだった。百合を取り囲み喜んでいる。琴美は真里の肩を抱いていた。宏太が立ち上がってエリーシャに言った。
「おかしいです! 百合よりも真里先輩の方が上手かったじゃないですか! 見ていた皆が、きっとそう思ったはずです。もう一度、審査してください!」
「私からも! 私からもお願いします」次に立ち上がったのは、百合だった。先ほどまで百合を取り囲んで喜んでいた仲間達が百合の手を引っ張っている。百合はそれを払い除け、エリーシャの前に立った。
「一緒に踊った私からもお願いです! 真里先輩にはやっぱり私なんかが敵う相手ではなかった。エリーシャさん、お願いです。私じゃなく、真里先輩を選んでください!」そう言って、百合が頭を下げた。
「私が前に言ったこと覚えてないの? ここでは私が女王で、あなたたちは僕。全ての決定権は私にあるの!」エリーシャは、顎を突き上げ目の前の百合を見下すように見た。
「でも、……」百合はエリーシャの威圧におされ、小声になった。
「でも、何よ? あなたも落選者になりたいの? だったら二人とも落としていいのよ」
「止めて! 宏太も百合も、私のために落ちることない! これは私の実力が足りてなかっただけ。エリーシャの判断に、私は従う! だから、お願い。次のステージへ進んで、私の分まで楽しんで」真里は二人に笑顔を向けた。
「あなたの方が物分かり良さそうね。そういう事だから、二人ともお座り。落選者は、明日荷物をまとめて帰ってちょうだい。一週間後に再度連絡するわ。スタッフとして働いてもらうわよ! 申込書の契約通りにね」
 エリーシャは、最後にそう言って玄関口へと歩み、会場を後にした。
 会場に残された者達は、エリーシャの冷淡な態度に言葉を失っていた。
 千夏もその一人だった。(つづく)

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