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Rainbow⑥

不協和音-④

 誰かがやらなければならない。それは分かっている。でも、それは自分以外の誰かがやればいい。真里はそう思っていた。まさか、自分に白羽の矢が立つとは露ほどにも思っていなかった。
「琴美、ちょっと待って! 役者をやるとは言ったけど、メインキャストをやるとは言ってない。村人Aとか、ちょい役とか。……他にもあるでしょう。私には、無理だよ。メインの方の『クイツ』をするなんて。……」
 真里と琴美は、同じ高校に通っている。琴美は、会計システムコースを選び、将来は公認会計士を目指していると言っていた。「お昼ご飯、一緒に食べよう」と、珍しく琴美に誘われた真里は、大方察しがついていた。子ども劇団では、演目こそ決まっているけれど、公演までの過程は、子ども達に委ねられている。配役も同様に。
 真里に配役された「クイツ」とは、主役のオヤケアカハチの妻の役だ。メインキャストは、全部で四人。主役のオヤケアカハチ、幼馴染で敵役の長田親方、その妹たちでマイツとクイツがいる。セリフの多い順に並べると、オヤケアカハチ、長田大主、クイツ、マイツとなる。
 クイツをするなら、役者経験の長い琴美が適任だと真里は琴美に伝えた。すると、琴美はまた暢気な声でいう。「真里とクイツは、性格が似てるから真里なら素で演じられると思うよ。いいじゃん、いいじゃん! 最後の公演、私らでメイン張っても! 最後だよ。それに去年、役者が二人も辞めちゃって、正直、人手不足なんだ。だから、真里がクイツをしてくれたら、他のキャストはどうにかできそうなの。お願い。私がもう一つのメインキャストのマイツをするから。……いいでしょう? 」
 琴美は中庭のベンチに座る真里の横に座った。
「『いいでしょう?』 って、おやつを一口ちょうだいみたいに簡単に言うけどさ。役者やったことない人にとって、メインを張るのは苦行でしかないんだよ」
 真里は横に座る琴美を見た。琴美は近くのコンビニで買ったお弁当を袋から取り出し、蓋を丁寧に開けている最中だった。お弁当をラッピングしているビニールを継ぎ目のところから剥がし、中に溜まっている水滴がスカートに落ちないようにゆっくりと開けている。普段の琴美は、おっとりしていて掴みどころがない。真里には鈍臭く見えている琴美だけれど、練習や演技となると人が変わったようにスイッチが入る。彼女曰く、劇団のみんなにリーダーとして認められるように気を張っていたら、無意識に切り替わっていることが多いらしい。
 琴美のレジ袋には、他にもプリンや緑黄色野菜ジュースが入っている。真里は、手に辛子明太子の入ったおにぎりを持って、自分の隣にカップサラダを置いた。レジ袋には、他にもサラダチキンスティックが入っている。でも最後のものは、お昼に食べるものではなく、放課後に通っているダンススクールのときに食べる用だ。
 劇団の稽古は、土曜と日曜日にある。真里は、火曜と木曜をダンススクールに通っている。そのダンススクールは、二年前に東京から来た女性の指導者が開いたスクールで、石垣島に来る前までは、多くのステージでバックダンサーをしていたらしい。真里が漠然とした未来に「バックダンサー」と考えていたのは、実はその指導者の影響もある。彼女は、数多くのステージをこなしてきたという。実際は知る由もないが、そういう夢を叶えてきた人の眼差しや言葉は、例にもれず真里の心に響いた。
「真里は、凄いな。土日以外にもダンススクールとか行って、毎日やりたいことに没頭している感じでしょ? おまけに、すらっとした体型も維持できてて。……私なんか、お腹空くとついつい食べちゃうし、頭使うと無性に甘いもの食べたくなる。だから、公演前は一番しんどいの。だって、甘いものも断って、ご飯も野菜中心にするから。でないと、太ったままお客さんたちの前に立つことになるでしょう? そんなの想像しただけでも耐えられない」琴美は、タコライスを大きな口を開けて美味しそうに食べ、真里に顔を向けた。その顔は木の実をほっぺに溜め込んでいるリスみたいだった。真里は、そういう飾らないところが琴美の良いところだと思っている。無理して気を張らなくても、自然体の琴美でも十分みんなから信頼されるリーダーになれると思うのに。……と、真里は小動物を愛でる眼差しで琴美を見た。
「そんな大したことじゃないよ。私はただ少食なだけ。本当は、おにぎり一個でもお腹いっぱいなくらい。だけどね、……ほら、ウチ、親が定食屋してるでしょ。だから、お母さんがね、『体は食べたもので作られるのよ。だから、口にするものは自分を生かすものだと思って食べなさい!』だって。あとね、こうも言ってた。『心は聞いた言葉で作られる。未来は話した言葉で創られるのよ』とか。何だか」
 真里の両親は、家を改修して夫婦で定食屋を営んでいる。真里が中学生に上がったころからだから、今年で確か六年目になる。コロナウイルスが蔓延していた頃は、さすがに暖簾を降ろそうかと考えていたらしいが、ネットで島の食材を使ったプリンやレトルトパック商品が顧客に受け容れられ、なんとか暖簾を降ろさずに済んだ。コロナウイルスが第五類に格下げになってからは、ネット通販で常連になったお客さんや以前から足を運んでくれていたお客さんたちが戻ってきて、連日大繁盛している。
 店では、朝食と昼食に島の食材で創作した定食を提供している。
 定食屋を始めるきっかけになったのは、実は真里があまり量を食べないことだった。両親は真里に、少量でもせめて口にするものは良質なものを。……と、あれこれ試行していたら栄養士や食材ソムリエの資格を取得するようになった。それで、せっかくだからと知識を生かして定食屋を開くことになったのだと、近所の人に話しているのを真里は聞いたことがある。
「お母さんって、何かの先生?」リスのような琴美の大きな目とほっぺが真里を見つめた。
「え⁈ 何で」
「だって、めっちゃ名言じゃん! 鳥肌立ったよ、いまの言葉」
「ははは、きっと何かの本の受け売りだよ。お母さん、いつも本ばかり読んでるから。あと、思い立ったが吉日! って人だから、いつもこう」真里は両手を顔の両側に出して、前に伸ばしてみせた。
「真里の性格は、お母さんに似たんだね」琴美がプリンの蓋のビニールを慎重に外している。まるで、手にできた豆の皮を痛々しく剝いでいるかのような表情をして。以前にもそうやってプリンの蓋を開けていたことを真里はふと思い出した。確か「絶対音感」がどうちゃらなんちゃらだったと思う。琴美が蓋を開け終わるのを待って、真里は話を続けた。
「私は、どちらかと言うとお父さんに似てると思うな。自由奔放なお母さんを、心配しながら見守っている。……的な」
「へえ、意外。真里のお母さんって、なんて言うのかな? 穏やかに日々を過ごしてます。……みたいな雰囲気なんだよね」
「もう、全然!」真里は、かぶりを振った。
「お母さんね、『人生一度きりなんだから、生きてるうちに、やりたいこと全部したい!』って、いつも言ってる。本当に自由奔放って感じなの」琴美は、興味津々に目を見開いて真理を見つめている。真里は、何だかじっと見つめられることに居心地の悪さを感じて、つい言わなくてもいいことを琴美に話してしまった。
「実は今度ね、アメリカに住んでいるっていうお母さんの大学時代の友達が、この島でLIVE BARを始めるらしいの。三年前にもこの島に来てたみたいだけど、私は会ってないから、どんな人なのか分からないんだけどね。お父さんが言うには、世界的に有名なダンサーだったんだって」
「え! それってビックチャンスじゃん! 真里にとってさ。大物からの推薦で芸能界なんて入れるんじゃない?」
「……」
「ご、ごめん。なんか気に障ること言っちゃったかな。……私」
「ん~。私にも分かんない。分かんないけど、いま琴美に言われて何か胸の中がモヤモヤしてきた。私、自分が目指しているものが何なのか、分かんないの。琴美みたいに、公認会計士になりたい。とか。凄いと思う。けど、私はダンス以外にやりたいことがないし、だからってダンスで食べていける自信なんてないし。かと言って、さっき琴美が言ったみたいに、誰かの助けを借りて芸能界に入るとかも、ちょっと違う気がする。いったい私、何がしたいんだろう」項垂れる真里の背中を琴美の左手が何度も撫でる。猫の背中毛を撫でるかのように。
「そんな落ち込むことじゃないよ。『真里はダンスが好き』それだけでも立派な夢や目標じゃない? 夢って、何も未来だけのことを意味しているわけじゃなくて、今の自分を肯定するものだと思う。真里が今ダンスを一生懸命するのも、立派な夢の一部だと私は思うよ。迷っているときこそ、今の自分をしっかり肯定してあげなきゃ!」
 真里は、琴美の瞳を覗き込むように、まじまじと顔を見た。
「何、私の顔に何か付いてる?」
「いや、そうじゃなくて。今私の隣に座ってるのは本当に琴美なのかなって、思って」
「ひどい。私だって、将来とか未来とか。こう見えても結構悩んでるんです!」琴美は、ほっぺを膨らませて真里に怒った顔を見せた。
「ごめん、ごめん。琴美が同じ高校にいてくれて、私は心強いなと思ってさ。ありがとう」真里は、琴美のほっぺを両手で押さえて、唇を尖がらせた。
「やめてよ」と、また暢気な声が尖った唇から漏れ出てくる。真理はそれを見て、心が温まるのを感じた。二人は互いに笑い合って噴き出した。

 新緑の香りを運ぶ風が、蒼く爽やかに二人の間を駆け抜けていった。


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