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逆時の住人(2)
貴音が窓辺のクッションに腰掛けるとお尻からひんやりとした感覚が伝わってきた。それは窓外がニ月であることを貴音に知らしめた。貴音が書斎に入ってからは、止まっていた時が少しずつ貴音の体温を受け入れ、主人を見つけた忠実な犬のように、その懐かしい匂いや空気を貴音の体に擦り寄せてくるような感覚を覚えた。
三日月の掛かる夜空を見上げ、貴音は深呼吸を一つした。すると、座っているクッションの下に何か本のようなものがあることに気づいた。
「何だろう? 」と、貴音はその本を手に取った。その本の表紙を見ると、「かぐや姫物語」と書いてある。貴音は懐かしさを覚え、表紙を手でそっと撫でた。すると、月明かりに照らされた表紙から突然、映像が現れた。それは、紛れもなく祖父の顔だった。映像は、音声が無かった。
祖父は、ビデオカメラを片手に持ち何やら説明を試みているようだった。書棚の端の太い二冊の本の背表紙を前に傾けるとその奥にディスプレイが現れた。そこに祖父が手を触れると書棚中央部分が二つに分かれ、扉が開いた。その扉の向こう側を祖父は映した。そこにはアーチ状の筒があった。次に祖父は手紙をビデオカメラに映してその部屋のテーブル上に置いた。そこで映像は止まった。
ふいに貴音の脳裡にある思い出が戻ってきた。
――貴音、この本の表紙に手を置いてごらん。ほら、こんな風に。
そう、あれは祖父が最後に「かぐや姫物語」を読んでくれた時のことだった。貴音が小学二年生頃だっただろうか。祖父は、「これが最後の読み聞かせになるだろう」と言って読んでくれたことを思い出した。きっとその時に、手の静脈の照合をしたのかもしれない。しかし、何故? もしかして、――
貴音は映像にあった書棚の端の本を傾けた。すると、やはりディスプレイがそこにあった。貴音がディスプレイに手をかざしてみると書棚中央が開き、秘密の部屋が現れた。
その部屋は、無機質な壁に囲まれていて、人を寄せ付けない空気が漂っていた。しかし、ひとたび足を踏み入れたら、貴音の胸の内側から溢れ出る知的好奇心が部屋中に彩りを与えた。アーチ状の大きな筒が二つに木のテーブルとイス。手紙はそのテーブルの上にあった。貴音は、それを手に取り封を開けようとしたが思い立って止めた。洋平がこの秘密の部屋のことを知ったら、どんな反応をするだろう。貴音は洋平の顔を思い浮かべ、微笑した。
本原洋平は、貴音の家のすぐ近くに住む幼馴染だ。貴音と洋平は、よく祖父の書斎で学校の宿題をしていた。祖父は洋平のことも孫のようにかわいがってくれていた。
「明日、洋平も誘ってまた書斎に来よう」貴音は、書棚の本を元に戻し秘密の部屋を閉じた。そして、月明かり照らす書斎のドアをそっと閉め自分の部屋へと戻った。