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Rainbow㉝

 熱帯夜①

 八月某日、カンカン照りに空は晴れ、熱中症予防のため会場全体にミストが設置された。
 午後一時から開催される石垣島ドラァグクイーンショーに向け、各サブステージやメインステージでは最終確認が行われていた。五千枚の前売り券は既に完売しており、当日券を求めてホテルの外壁沿いに長蛇の列を作っていた。
 そんな中、咲人はトラブルの渦中にいた。開始まであと二時間を切っていた。
「ジャスミンが来ないのは、昨日あなたが『本当にブスね』とか言うから傷ついて来られないんじゃない? きっとあなたのせいよ!」
 年長のミミズクとノースフォックスがドラァグクイーン二年目のジャスミンのことについて揉めていた。咲人は、スタッフから無線で連絡を受けて来たところだった。
「何よ! 『ブス』は、私たちの間では挨拶みたいなものじゃない! 昨日はジャスミンだって笑ってたし」
「彼女は、きっと繊細さんなのよ。顔では何でもないように振る舞うけど、心では傷をたくさん溜め込んでるの」
「そんなこと、先に言ってくれなきゃ分からないじゃない!」
「どこに、『私、傷つきやすいので注意してくださいね』なんて言う人がいるのよ! 察しなさいよ!」
「察するって、私には無理よ。だって私たち世代は、酷い言葉言われてなんぼだったじゃない? ミミズクだって、『早く森へ帰れ』なんてお客さんに言われてたじゃない?」
「時代は変わるの。いつまでも同じ訳ないでしょ? あの時代は、今みたいに綺麗なドラァグクイーンなんてほんの一握りぐらいしか居なかったでしょ。今の子たちは、綺麗になる事で自分を表現してるのよ。派手なメイクで『汚い』なんて笑いを取る時代は、もう終わったのよ。私たちの時代は終わったの!」ミミズクとノースフォックスが寂しそうに肩を落とす。
「ミミズクさんもノースフォックスさんも、まだまだ現役で活躍されてるじゃないですか。終わったなんて言わないでください。……ところで、ジャスミンさんとは連絡取れてますか?」咲人はスマートフォンで時間を見た。開始まで残り一時間ちょと。思っていた通り、すんなりとは事が運ばない。リップシンクの得意なジャスミンが穴を開けるとなると、対処することは二つ。時間とファン対応だ。時間については、そのサブステージの出演者の演技時間を少しずつ延ばせば時間は埋まる。しかし、ファン対応については、ジャスミンを応援しに来ている人に何と言えばいいのか見当もつかない。どうにかしてジャスミンを連れて来ないと。……咲人はイライラしていた。
「ねえ、老眼が酷くてさ。サクちゃん、スマホ見てちょうだいよ」ミミズクから半ば奪うようにスマートフォンを取った咲人は、電話帳で「ジャスミン」を検索したが、見つからない。
「あ、あの子。公認会計士してるって名刺渡してたから、もしかしてドラァグネームじゃない方で登録したゃったかも?……名刺、まだ持ってたかしら?」
 咲く人を髪の毛を揉みクシャにしながら、イライラしていた。プログラムからジャスミンの時間を消すかどうかを早く決断しなければならない。それに観客へのプログラム変更の対応。咲人はまたスマートフォンを見た。もう仕方ないが、ジャスミンのプログラムは削ろうとスタッフに無線で伝えようとしたそのときだった。
「言ったでしょ! 出演者の話にちゃんと耳を傾けなさいって」掠れた声で、エリーシャがロイヤルブルーのタイトなワンピースと頭にはスカーフを巻き、サングラスを掛けて咲人たちの前に現れた。
「エリーシャさん!……何でここに? 退院はまだ先ですよね?」咲人やミミズク、ノースフォックス含め。その場にいた人たちが驚きと喜びの声を上げた。
「咲人! 出演者だって人よ。不安に苛まれたり、緊張や心配で胸が張り裂けそうになったりして、逃げ出したくなることだってあるの。覚えておくのよ!」
 エリーシャの後ろから、一般人の気の弱そうな若者がスーツケースを持って現れた。
「ジャスミンよ。空港から連れ戻してもらったの、立花に」エリーシャの話しに皆は再び驚いた。ジャスミンは、エリーシャに促されるまま事の成り行きを説明した。
「実は、僕。まだ職場にドラァグだってカミングアウトしてなくて。昨日たまたまSNSを見てたら、職場の同僚が友達と石垣島ドラァグクイーンショーを観に来てるって知って。……それでバレたくなくて帰ろうと空港に行った次第で」全てを話し終えると、エリーシャがその場にいる仲間たちに聞いた。
「この中で、職場にドラァグクイーンだと公言している人はいる?」すると、一割ほどの手が挙がった。
「じゃ、これから先も職場にはカミングアウトしないって決めている人!」今度は、ほぼ全員が手を挙げた。
 エリーシャは、ジャスミンに体を向け優しく言った。
「ほら、あなたの苦しみや不安を理解してくれる人たちがたくさんいるじゃない。カミングアウトするしないは、あなたが決めることだから何も言わない。あなたが守ってほしいっていうなら、私たちが全力であなたを守る。ドラァグ仲間の結束は強いのよ! だって世界は、私たちを中心に回ってるんだから!」エリーシャはジャスミンに微笑みを向けた。先程まで暗い顔をしていたジャスミンは、前を向き明るい表情を皆に見せた。
 エリーシャは、咲人にジャスミンから同僚の顔が写っている写真を入手させ、ドラァグ仲間に一斉送信させた。そして、ジャスミンの演技時間帯や通路を歩くときには、近くにいるドラァグ仲間でニアミスを防ぐよう指令を出した。
 咲人は、エリーシャが来てくれた安心感と体調面での心配が重なって困惑した。すると、千夏から着信がきた。不思議に思い電話に出ると、いきなり「エリーシャは、そっちにいるんでしょ? 代わって!」と怒り交じりに言われた。咲人はすぐにエリーシャにスマートフォンを渡した。
「千夏、まんまと騙されたわね。……史を使わせてもらったわ。あなたも早く会場においで」エリーシャは、楽しそうに千夏と話していた。
 咲人がエリーシャから事の成り行きを聞くと、こういうことだった。
 今朝、緊急手術が入ったとエリーシャが千夏に嘘をついて、医師のところに説明を聞きに行くよう指示した。その隙に、史と簡単な荷造りをして病院を抜け出し、車で会場まで来たということだ。
 エリーシャは楽しそうに笑っていた。それを見て咲人は、これまでと同じように、エリーシャの自由にさせた方がいいと思った。何かあったらすぐに病院に連れて行けばいいと覚悟を決めた。
 エリーシャは、無線トランシーバーを握り、会場に散らばるスタッフ、共演者たちに言葉を送った。
「皆、Show Must Go Onよ! そしてクイーンたち!今日は朝まで踊り明かすわよ!」
 エリーシャの言葉に、各会場から野太い歓声が挙がった。石垣島ドラァグクイーンショー開始三十分前の出来事だった。(つづく)

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