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Rainbow㉞

 熱帯夜②

 開場と同時に一万人を超える観客が会場に流れ込んだ。入り口で配布したマップや特設サイトを通じてお目当てのドラァグクイーンやプログラムが行われる各サブステージに散らばっていった。あっという間に全てのステージ席が埋まり立ち見の観客まで出ている。ドラァグクイーンショーを初めて実際に観る人々は、その迫力と痛快なパフォーマンスに皆、心を奪われた。
 エリーシャは、ショーだけでなくドラァグクイーンをより深く理解してほしいという思いで、「クイーンのお悩み相談室」や「クイーンのタロット占い」他にも「クイーンの読み聞かせ」などのブースを設けて実に多彩なイベントを企画していた。ドラァグクイーンたちは、自分の得意を活かして来場者たちをもてなしていた。
 エリーシャは、それら全ての会場を歩いて回ろうとしたが、さすがにまだ体力も回復していない状態だったため、エリーシャを車椅子に乗せて真里が付き添った。真里は慣れないドラァグクイーンの衣装とハイヒールを履いて、「アーシャ」として振る舞った。
 各サブステージでは、仲間たちの溌剌とした姿を真里とエリーシャは観て聴いて楽しんだ。
「さあ、そろそろメインステージの確認に行かなきゃね」エリーシャが言う通りに、車椅子をメインステージの方へ進ませたとき、トランシーバーから声が届いた。
「エリーシャさん、忙しいときにすみません。咲人です。いま、チケット売り場の所に居るんですけど、ドラァグクイーンショー中止を訴える団体が通行の邪魔をしているという苦情がありまして。さっきその団体に話したんですけど、なかなか退いてくれなくて。どうしますか?」咲人は、二〇二二年に起きた「ドラァグ・パニック」のことが脳裡をよぎった。
「ドラァグ・パニックになる前に手を打つ必要がありそうね。いいわ、ホテルのロビーに通して。私が相手をするわ」エリーシャは行き先をロビーに変更して、真里に車椅子を向かわせた。
「ねえ、エリーシャ。『ドラァグ・パニック』って何?」真里の質問にエリーシャは簡潔に答えた。
 二〇二二年、アメリカやカナダなどでドラァグイベントに対する反対抗議活動が起こった。彼らはドラァグクイーンがイベントを利用して未成年者を洗脳したり性的対象としている可能性を訴えた。

 ロビーで、団体のメンバー五人を迎えた。皆、女性で子育てを終えた人もいれば、真っ最中だという人もいた。エリーシャは丁寧に握手を求めたが断られた。
 お互いに向かい合ってソファーに座ると、団体の一人が突然真里に年齢を聞いた。
「あなた、お歳はいくつ?」
「十八です。……」
「ほら、やっぱり噂は本当だったのよ。地元の高校生を洗脳してるって話」五人は、とんでもない場面を発見し、その証拠を握ったとばかりに顔を見合わせた。
 そこに、千夏と南乃花が病院から会場に到着し、ちょうどロビーの前を通り掛かった。
「真里、エリーシャ。どうしたの? 会場に行かなくていいの?」千夏が真里とエリーシャを見て、その向かいに座る五人の女性に軽く会釈をした。真里は、目の前に居る団体のことを紹介した。
「こちらの方々は、ドラァグクイーンショーの中止を訴えている人たち。……です」
 南乃花は、彼女たちを物珍しそうに見た。
「へえ、日本でもドラァグ・パニック起こす人いるんだ。私、初めて見た!」
「何? ドラァグ・パニックって?」千夏が南乃花に聞こうとしたが、真里が止めた。「そのくだり、さっき終わったから、後で説明するね」と言った。
 団体の一人が、今度は千夏と南乃花に喰ってかかった。
「あなたたち、これでも親なの? 娘が露出の多い衣装を着て、周りから性的な目で見られることに、かわいそうだと思わないの?」
 南乃花が喧嘩を買い、反論した。
「他人様の子育てに口出し出来るほど、あなた方の子育ては素晴らしいんですか? 子どもが何処かの国の大統領にでもなったの? 世界の貧困問題を全て解決したとでもいうの? 言ってみなさいよ!」
「……少なくとも、あなたたちのお子さんよりは、マシに成長していると思いますけど!」彼女は、苦し紛れの言葉を吐き捨てそっぽを向いた。
「失礼ですが、この子は私の子です。私はこの子を誇りに思ってるんです! 誰かと比較されても困るんです。真里は、この世に真里一人しかいないので、そこのところ、訂正してくださいませんか?」千夏は、冷静な口調で彼女たちに迫った。真里は知っている、冷静な口調の時ほど千夏の怒りは最高潮に達していることを。
 すると、先ほどから黙ったままだったエリーシャが、ようやく口を開いた。
「素晴らしい! 私はあなたたちのような人を待っていました! ちょうどコンプライアンス委員会に人員が必要だと思っていたところだったんです。もし、お時間がよろしければ、コンプライアンス委員会として会場を見て回ってくれませんか? こちらに居る二人をお供に付けます」エリーシャは、サングラスの奥で笑顔を作りお願いした。
「エリーシャ! こんな傲慢な人たちを相手にすることないわよ」千夏と南乃花は嫌がったが、エリーシャが再度お願いしてきたので断るに断り切れず承諾した。
 エリーシャは、団体の方々にもお礼を言ってメインステージに行かなくてはならないということを伝え、その場を離れた。
 彼女たちは、呆気に取られていた。全面戦争を仕掛けに来たのに、丁重なおもてなしをしてもらい、おまけに敵の内情まで徹底的に調べてくださいと敵からお願いされたのだから、そうなるのも仕方ない。
「エリーシャ、大丈夫なの? あのおばさんたち、酷いこと根掘り葉掘り書いて、『ほら! 見てみなさいよ』って言ってくるよ。きっと」真里は車椅子を押しながら言った。
「そうなったら、そうなったときに考えればいいことでしょ? 私はドラァグという生き方を選んだ。だから、ドラァグの良さを伝えたいと、こうやってショーを開いてる。でも、私の好きを彼女たちに押し付けるのは、私は違うと思う。彼女たちがこうやって会場まで来てくれたんだから、互いに歩み寄る機会を作ってもらったと考えれば、有り難いことでしょ。何もドラァグクイーンの全てを理解して愛してほしい訳ではないの。ただ、お互いに歩み寄れるところを模索して譲り合って、その譲ってもらった分を親切で返していけたら、素敵じゃない?」エリーシャの声は弾んでいた。
「エリーシャは、人が良すぎるよ。……」
「ハハハ、ただ、この人生を楽しみたいだけよ」
 真里は、エリーシャの心の奥底がどれ程の深さなのか計り知れない。と痩せ細った彼女の後ろ首を見て、風を切るように車椅子を走らせた。(つづく)
 
 

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