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逆時の住人(7)

 「ふぁ」大きな口を開けて貴音は電車の中で欠伸をした。
「何だよ、昨日は寝られなかったのか? さっきから何回目の欠伸だよ」隣に座る洋平が心配した顔で貴音を見た。
「ごめん。気になることがあって、昨日は書斎で朝まで調べものしてたの」
 貴音と洋平は、電車で祖父の研究仲間であり物理学者の識名学教授がいる大学に向かっていた。彼は祖父亡き後、日本でのワームホール研究者の筆頭であり現在は大学で研究の傍ら、次世代の後継者を育成するために若手を指導している。と大学のホームページで見たことを貴音は洋平に伝えた。
 「だけど、ワームホールのことを他人に教えても大丈夫なのかな?」ふいに洋平が疑問を投げた。貴音は、少し考えてから言った。
「……『仮定の話』で通せばいいんじゃない? ワームホールがあったとして、おじいちゃんの仮説にあった『時間の矢』や『エントロピー』とは何かを教えてもらいに来ました。とか言って」
「俺、嘘とか苦手だから。貴音、お願いな!」洋平は、笑顔を貴音に向けた。
「もう、調子いいんだから!」貴音は、洋平を一度見てから顔の火照りを感じて電車の向かい側の窓の景色に目を移した。
 ――いつから洋平のことを意識するようになったのだろう? 
 貴音は電車に揺られながら、隣に座る洋平のことを考えていた。祖父が亡くなってから洋平が貴音の家に来る回数は減った。来たとしても、お使い程度の用事で玄関先で少し話して帰る。学校では、最近までほとんど話さなかったけれど、祖父の書斎の一件で共通の思い出を持つ同士として再び話すようになった。まるで三年間の空白を埋めるかのように、今もこうして一緒に電車に揺られ家から遠いところまで来ている。
 洋平は、貴音の明るい表情を見て安堵していた。貴音の祖父が亡くなったあと、貴音の表情はモノクロのように鮮やかさを失っていた。洋平はそんな貴音の姿に掛ける言葉を失っていた。時々は、貴音の家にお裾分けなどを持って行くことはあったが、玄関先の貴音はいつも笑ってない微笑を浮かべるだけだった。しかし、ここ最近は以前のような笑顔を取り戻し幼かった頃のような無邪気な貴音が洋平には愛おしく感じられた。
「貴音」ふいに洋平は思い余って言葉が声に出てしまった。
 「ん、何?」貴音が洋平の顔を見ると、洋平は少し顔を赤くしていた。
「え? いや、何と言うか。……絶対、おじいちゃんの思いを成就させようね!」
「う、うん。ありがとう。洋平が居てくれるから、できそうな気がする」
 電車の車内アナウンスが二人の目的地の名前を告げた。二人は立ち上がり開かれたドアから一歩を踏み出した。
                        「逆時の時計(7)終わり」

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