Rainbow⑱
旋風➄
青い空から降り注ぐ陽光が、無機質なクリーム色の床を明るく照らしている。消毒液の匂いが染み付いた壁と壁の間を、白衣を着た人々が行き交っていた。
ここは、カリフォルニア州ロサンゼルスのメディカルセンター。人の出入りが制限されている入院患者病棟は閑散としており、ひんやりとした空気が漂っている。個室にいるエリーシャは、ドクターから入念に説明を受けていた。彼女は、一つ一つの注意事項にいくつかの質問をしてドクターの説明を十分に理解しようと努めていた。すべての説明を終えた後、ドクターはエリーシャにもう一度意思の確認を行った。
「本当にこれでいいんだね。君の『覚悟』は充分に理解しているつもりだが、私個人としては君の治療にまだ可能性を見出している。もっと時間をかけて治療に専念すれば、君の命をさらに延ばすことができると信じているよ」と言って、ドクターはエリーシャに花束を渡した。
「わあ、ありがとう。素敵なプレゼントね。あなたたちは充分に私に尽くしてくれたわ。だから、私はここまで回復できた。あのどん底の状態から」花束の香りを嗅ぎながらエリーシャは言った。
「エリーシャ、どうして急に日本行きを決めたんだい?」
「ねえ、可憐な花はなぜ美しいと思う?」エリーシャは花束をベッドに置き、ドクターに顔を向けた。思いがけない質問にドクターはしばらく考えた後、答えた。
「可憐な華が美しい理由? それは、蜂などの仲介者を使って繁殖をするために鮮やかな色を好んで纏っているからだろうか」
「まともな答えで、つまんないわね」困り顔のドクターを見て、エリーシャは笑った。
「私にとって、可憐な花が美しいのは、その美しさの儚さを知っているからよ。いずれ枯れて誰も見向きもしなくなることを知っているからこそ、美しさを保つうちに精一杯、可憐に花を咲かせるの。日本でのショーが終わったら、またここに戻ってくるわ。だって、私はこの病院が嫌いじゃないもの」とウィンクでドクターに別れを告げた。
エリーシャは、看護師や医師に見送られながら病院の出口を抜け、タクシーに乗り込んだ。タクシーはロサンゼルス空港へ向かっている。車内でエリーシャは携帯電話を見た。「千夏」と着信履歴に数件表示されていた。
千夏からの着信は三年ぶりだった。相変わらずの天然で、日本とアメリカの時差がどこでも十二時間だと思っているらしい。千夏からの着信を受けたのは、ロサンゼルスでは深夜二時だった。実際の時差は十七時間だ。しかし、その天然さが彼女の魅力だとエリーシャは幼少期からの付き合いで十分に理解していた。
「頼みたいことがある」と千夏から連絡を受けたとき、エリーシャはすぐに日本行きを決めた。これが千夏を助けられる最後の機会だと悟ったからだ。千夏が喜ぶ姿を思うと、エリーシャの心はいつも晴れやかになり、涼しい風が吹き抜ける。最高の贈り物を用意し、彼女の期待に応えようと、エリーシャは日本の南の島、石垣島でのドラァグクイーンショーを企画した。すぐにマネージャーに連絡を取り、日程と場所、スタッフのスケジュールを確保した。エリーシャは携帯電話を再度確認した。以前からメッセージの数が増え続けている。そこにはドラァグクイーンの仲間たちの名前が並んでいた。みんながショーへの協力を申し出てくれた。彼女たちにも何か贈り物をしたいと思うが、今はまだ何も思い浮かばない。早く彼女たちに再会したいと、エリーシャは携帯ケースの縁を細く長い指でなでた。
夕陽を背景に飛行機が滑走路へ降下してきた。その後ろには夕闇が迫っている。――すべてに明かりを灯すことは難しい。しかし、「自分の愛が届くところすべて」にだけでも明かりを灯したい。エリーシャは夕闇の反対側にかかる月を見つめ、それを目に焼き付けた。
タクシーが空港に到着すると、ロサンゼルスの空気を胸いっぱいに吸い込んで、エリーシャは空港のエントランスへと歩き出した。(つづく)
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