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Rainbow①

自由と孤独-①

 Barは微細な光に包まれていた。シーリングスポットライトから放たれた光は、カウンター上にある飲み干されたグラスに当たり乱反射している。カウンターの内側の壁を見ると、今宵の主役がポスター越しに全身で真っ直ぐこちらを見つめている。思わず吐露したくなる溜息。これこそ完全なる美! ダビデ像をカービングしたミケランジェロでさえ、その完璧な姿に、嫉妬してしまうのではないかと思うほど、ただただ美しい。
 カウンターの向かい側にはステージがある。ここは、カリフォルニアにあるショーとBarが一体化したオーソドックスな店だ。時にはジャズBarであり、また時には若手バンドのステージであったりと店のオーナーが多種多様なアーティストのライブやショーに足を運び、ステージへの出演契約を取ってくる。
 今宵のステージは、アメリカ全土から観客が集まる異例の盛況だ。それもそのはず、ショーで踊り歌うのは、ドラァグクイーンの女王であり、ハスキーボイスの歌声と完璧な美貌から、「悪魔な天使」と称されている。いま世界から注目されているアーティストの一人、エリーシャだからだ。
 ステージ上には、まだ静寂だけが立っていた。まるで今宵のショーを待ち望んでいるように、恍惚とした空気がステージに充満している。
 それは、ステージとカウンターの間を細波のように騒めいている観客も同様だろう。それぞれが内なる心に、期待と興奮を膨らませながら、時折ステージに目を向けている――。例えば、いま一枚の羽がふわりと舞台に落ちたとして、その微細な音にも今宵の観客は、主役の登場かと、振り向いてしまうに違いない。会場の緊張は、既に絶頂に達しているのだ。
 ツ――。不意にスピーカーからマイク音が流れた。ステージ袖から現れたのは、マイクを持ったオーナーだった。彼は溢れ返る会場の全体を舐め回すように見て、満面の笑みを拵えた。
 「レディースアンドジェントルマン! 今宵のカリフォルニアは、夜明けを知らない。なぜなら、ここに悪魔な天使が舞い降りたのだから! さあ、皆さん! 盛大な拍手で今宵のスターを迎えましょう! 日本生まれのカリフォルニアが誇る大スター、ハスキーボイスと魅惑的なダンスで今宵も月が彼女に嫉妬する。悪魔な天使、降臨!」
 熱を帯びたアナウンスよりもさらに熱く、会場のボルテージは沸点に達していた。拍手と歓声が上がる会場。先ほどの静寂も影すら見えないステージ上。一筋のスポットライトがステージ中央に光を一点に注いだ。ドラァグクイーン、エリーシャ。
 その容姿、出立ち、仕草、何もかもが完璧で。エリーシャを初めて知った人も直接見ることができた人も、一瞬で心を奪われてしまった。
 音楽が外界との壁を築き、新たな空間を生み出す。その空間を支配できるのは、そう、エリーシャ。彼女の足下に集まる灯たちが、より一層彼女の輝きを際立たせる。躍動する軀からは、彼女の内なる光が迸る。なんと強く、なんとしなやかな体躯。宙を舞うかのように、彼女は踊る。会場中のあらゆる歓声と拍手が彼女の元へと注がれる。もはや彼女の前では、今宵の月も苦杯を喫するほかなかった。

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