サードアイで見てる?

絵画や仏像、素敵な景色など心動かされるものに出合ったとき、人はどのように鑑賞しているか。チラッと見て、撮影が許可されているなら写真を撮って立ち去ってしまう人がほとんどである。

私は違う。立ち止まってじっと見つめる。人物画や仏像はなるべく目の合う位置で見つめあう。結構な時間そうしてると思う。だから展覧会は一人で行く。心ゆくまで見たい作品を見つめていたいから。

心惹かれているものを見つめている時の私は、何も考えていない。ボーとしている。構図や技法を分析したり、歴史的背景に思いをはせたりしていない。右脳しか使っていない。無心に近い心情でひたすら見つめている。その「もの」の世界に入り込む、または同化している。

その「もの」から離れがたくて、その場に留まる。かなりの集中力で「もの」に没頭する。
そして気が付くとひどく疲れている。


見つめるという行為がなにを自分にもたらすのか、分かっていない。私の作品に直接的に「もの」の影響が表れたことはない。思い出す頻度もそれほどではない。
では、私は過度ともいえる集中力で「もの」の何をみているのか? 明確には分からない。ただ私は無意識レベルで「もの」と対話し、「もの」の持つ雰囲気やエネルギーを心に取り入れているのではないか。

見つめることで無意識レベルに「もの」を取り込んで、自分の心の細胞の一つにしていると考えられる。そうしてできた心の細胞達は、私の生き方にきっと影響を与えている。50年見つめ続けてきたのだから、沢山の細胞が心に散らばって、感性の一部になっているのだろう。
時として私の生き方を導いてきたであろう。


そう考えると、私は「もの」をサードアイで見ているのかもしれない。

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紬 余話(つむぎよわ)
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