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11月7日 東京に恋をした話

皆様こんばんは。
津麦ツグムです。
お久しぶりの投稿です。

前回がいつだったのか、人差し指ひとつで確かめられるのですがかなり日が空いてしまったことだけははっきりとわかっているので見ないことにします。
知らぬが仏!見ぬこと清し!

ここ最近は自分がずっと苦手だったり縁がなかったりして得てして見ないようにしていた様々なことが急激に動き出していました。
それを嬉しいと思う反面、少しだけ疲れてしまって、ちょっと精神的に参ってしまったりもしていました。
「人間慣れないことはするもんじゃねえな」と思う一方で「普段しないことするのも悪くなかろう」と思ったりもする昨今です。
とりあえず、社会性があまりないタイプのくせに社会的生物のような振る舞いを短期間でやり過ぎた辺りが最大の敗因かと自分では分析しています。

しかし、たまにはしておかないと、どんどん下手くそになってしまうのも事実。
これもリハビリの一種だと思うことにします。
もっとも、「プライベートでは誰とも会いたくない、話したくない、一人きりになりたい」時期が長かったのでかなり良い傾向ではあるのです。

コミュニケーションの許容量というものがどこかにある気がずっとしています。
それは人それぞれで、バケツ一杯のひともいれば、コップ一杯のひともいる。
すぐに満杯になってしまうひともいれば、注がれた端から蒸発してしまったり底にヒビが入ったりしていて、なかなか満ちることがないひともいる。
ある時からそんな風に思うようになりました。
私はきっとあまり大きくないのだろうな、とも。
それを少し前まで漠然と「小さいのは悪いことだ」と思っていたのですが、最近は「どこでどう遣り繰りするか」という考え方にシフトチェンジできるようになってきました。
まあ、今回のようにバランスを崩してダウンしてしまうこともあるのでそこは要改善、というところですが。
ようやくよろよろと復活の兆しが見えてきたので、久しぶりにnoteを開いた次第です。

東京に恋した話

22歳、私は東京に恋をした。
大学卒業が確定し、就職先も決まり、私は下宿を引き払って田舎の実家に帰っていた。
特にやることもなく毎日出されたご飯を食べて、暇潰しに寒い川縁を散歩して、眠くなったら眠る。
そんな生活をしていた。
少し前にしていたバイトのお金が入った。
不意に、思った。
「東京にいこう」
就職活動で何度か行ったので、多少の土地勘はある。
なにか新しいものが見たくて、それ以上に私は一人になりたかった。
ひとりきりで、好き勝手に、好きなところに、気の赴くままに、足の向くままに、知らない場所を歩きたかった。知らないひとに会いたかった。
一度そう思うともう止められなかった。
我慢できなかった。
柔らかな繭のような、それでいて常にひとの目がある実家に、実のところ息苦しさを覚えてうんざりしていたのだと今になるとわかる。
親に相談する時間も惜しくて、すぐに夜行バスとホテルを予約した。

夜行バスに揺られて満足に眠れず早朝東京に着いた。
とりあえず、ユースホステルがある池袋に向かった。外国人がたくさん泊まる、ドミトリー形式のホテルだ。
山の手線には、目が回るほど沢山の人いた。
様々な格好をした人。人。人。人。
誰ひとりとして隣の人間に視線をやらず、何を写しているかわからない目で、ぞろぞろと並んで一方向へと進んでいく人の群れ。
蟻の行進。
何を見ているかわからない沢山の目がそれを連想させたのかもしれないし、どこか機械めいた規則的な移動がそう思わせたのかも知れない。
誰もが目を見開いていて、それでいて何も写していない。

私はその瞬間、東京に恋をした。

ここでは、誰もが無関心だ。
どんな格好をしていても、どんな容姿をしていても、何をしても、当たり前に群衆に飲み込まれていく。
誰もが「通行人A」になれる世界。
私は泣き出しそうになった。
人でごった返している山の手線のホームで。
どうしようもなく泣きたくなった。
なんて、楽なんだろう。
なんて、自由なんだろう。
なんて、乾いているんだろう。

最高じゃないか。

リアルでありながら、ここでは匿名になれる気がした。
沢山いるうちの一人になることができる。
大衆の一部分でありながら、肩書きのない個人としての存在にもなれる。
所属を知らせる必要もなくただただ私個人として、生きていけるのだろう。
なんて自由なんだろうか。
誰も私に興味がない。
それが当時の私が渇望していた自由の形だった。

私は何者にもなりたくなくて、そして誰からも知られたくなかった。
ただのその場での人格としての私個人として生きていたかった。
バックボーンなんて、所属や出身地なんて、どうでもよくて。
ただただ瞬間として生きている自分と、気まぐれに行き逢った人との、事故みたいな出会いだけを欲していたのだろう。

だから、私は東京に恋をした。

呆れるほどに沢山の人間がいて、笑ってしまうくらいに人間がひしめき合って、どこまでも通りすぎていくものに対して無関心な場所に。
それでいい。
それがいい。


もう東京に来て1年以上たった。
通りすぎていく人、時々触れあって、そして挨拶もなくさよならしていく人。
私は東京の匿名性と多様性に甘える。
「実は文章を書いているんです」
私は東京に来た。
私は生まれて初めて、子供の時からずっとずっと隠してきたことを口にする。
「文章を書くのが好きなのです」
ここには沢山の人がいる。
私がなにか言ったところで、何も変わらない。
興味があれば目が合って。
興味がなければただ流れていくだけだ。

人が沢山いて、誰もがほどほどに人に興味があって、そして誰もがほどほどに他人なんてどうでも良いと思っている。
そんな場所で生きている。
私はそういう東京に恋をしている。

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