すべてが未知の環境は私にとっては天国みたいだったけど、家族が消えた人にとっては地獄の始まりだったんだろうな
vol.10【ワタシノ子育てノセカイ】
夏休みになるとタロジロとのマレーシアでの生活を思い出す。
あれから4回目の夏。
かくれんぼはたぶん、徒歩圏内でしたほうがいい。
ーーー
マレーシアではすべてが0からだった。ツテは一切ないから知り合いもいない。マレー語も知らないし英語もつたない。
だけど私にはタロジロがいた。タロジロが私の居場所だったんだ。
私の心身はマレーシアで浄化されていゆく。幸せのシェアにあふれていたから。
親切の押し売りがない。
give&takeなわけでもない。
宗教の背景もあるんだろう。
とはいえなんだかんだで思う。
ご縁に運があっただけなんだ。
どこにもいろんな人がいますもの。
結局は「場所」ではなく「自分」しだい。
なんせ飛行機が便利なのは間違いない。これまでのアタリマエが一瞬でアタリマエでなくなるから。
ーーー
私たち親子はご縁に運を使いまくりだった。どこへ行っても親切にしてもらえたんだ。
たまたま居合わせた知らない誰かに、食事をおごってもらったり、送迎してもらったりもたびたびあった。
乗車する私の危機管理は謎←
一方でタロジロは日本との違いに、しばしばキョトンとしていたな。目を輝かせて「なんで?なんで?」をくり返す日々が始まる。
そういえば滞在2.3日目で、タロジロはある言葉を連発するようになった。
マレー語の「テレマカシー」。
意味は「ありがとう」。
日常はありがとうで満ち溢れているんだ。
私はこんなアタリマエすら見失っていたらしい。
ーーー
幼いふたりは眩しくて、私のすべてを包み込んでくれた。
目を覆いたい、弱さも、醜さも、すべて。
一緒に暮らした最後の夏から5年目。
当時8歳と5歳だったタロジロ。
彼らの心には今、どんな記憶が刻まれているんだろう。
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あのね。
今に感謝できるのは「過去」があるからだと思うんだ。
くり返してばかりだけれど、私は不適格な監護者だと「日本」から判断されている。マレーシアにタロジロを連れて行ったから。子どもの生育にすこぶる悪影響な行為らしい。
とはいえたいしたことではない。
すべての答えはタロジロにある。
そもそも日本さんの勘違いやし←
勘違いの日常がどれほど生きづらいかを私は知っている。
なんせ猛烈勘違い女←
そして今ふと思うんだ。だから私は飛行機に乗ったのかもしれないなって。
仮に地獄に落ちたなら、「自分」が試される時期なだけ。試されて今に感謝できたとき、地獄は人生の深みとなる。
地獄は天国みたいなもんだ。
だから人生の深みは「愛」になる。
愛を浅くするのも深くするのも自分しだい。人生のコンパスは誰かに委ねてはいけない。
たとえ「国」であっても。
誰だって間違えることあるやん←
人の記憶に刻まれるのは愛ある体験。愛の体験は思い出となり人生をしなやかに支える。
自分の心に共鳴するとき、人は「愛する力」を育んでゆくんだ。