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母と私

私は幼い頃からずっと母に選択してもらってばかりだった。

「つむぎ、どっちにする?」
「本当にこれでいいの?飽きちゃわない?」
「やっぱりこっちにする」
「でしょ!こっちの方がお母さんもいいと思うよ〜🎵」

それは高校生になってからも

つむぎ「この専門学校に行きたい!」
母「ん〜〜〜でもつむぎは飽きっぽいから、途中で飽きちゃったら取り返しがつかなくなっちゃうよ?」
母「せっかく成績悪くないんだし、真面目なんだし、こっちの女子大にしたら?推薦とかあるんじゃない?」
母「お父さんだって、大学に行ってもらいたいっていうと思うわ」
母「こっちの女子大だったら、叔父さんの母校とも近いし、評判もいいわよ」
母「大学卒の方が就職で苦労しないだろうし、途中で飽きてもなんとかなるし、進学するなら大学にしてちょうだい」
父「進学するなら大学にしなさい」

つむぎ「わかった…」

母と父のアドバイスで推薦で大学を決める。
否定されるのが怖かったのかな。
一理あるなって思ったのかな。
私より私のことわかっているから
母が決めたルートを選べば安心って思ったのかな。

母も父も自分たちが正しいって思う道を選択しない場合、落胆するし、世間体を気にしていたから、有名な会社に入ってもらいたいという希望が強かったし、親戚と張り合っているようにも思えた。
それよりも、娘に将来苦労してもらいたくないっていう気持ちが強いんだろうなって思ったから親の愛として受け入れたのだった。

高校生になっても将来に対してぼんやりと考えていて、今、興味のあることを学びたい!という気持ちでその道に進むには専門学校が近道に思えたから専門学校に行きたかったんだけど、親を説得するほどの情熱がなかったのと、進学できれば、まあ、いいかって思ったのだった。

こんな感じで、自分の気持ちを掘り下げることをしてこなかった私なので、他人に人生も委ねていたのだ。

どうするのが正解かわからないから、もう、母に選んでもらって楽になってしまったのだ。
自分の意見に自信がないから、人の顔色をうかがってしまうのだ。
ずっと「聞き分けのいい良い子」でいた私は
自分で「選択」して失敗するのが怖かった
失敗した時の責任を取るのが怖かった

専門学校に行って、違う道を選びたくなった時に親を失望させるだろう。
一人暮らしをさせてもらうから、お金を出してくれる父の言うことを聞かなきゃ。
親孝行のために親の望む大学に行けばがっかりされない。

私は割とこういう感じで、親に依存していたので、困ったことがあるとお母さんに電話して話を聞いてもらい、答えを求めてしまっていた。

「自分の意見が通らないこと」よりも「自分の意見に自信がないこと」が苦しかった。

乗り越えたかったのは親ではなく
私自身だった。

自分で選んだ道で失敗したり、成功したりして
自分で正解にしていきたかったのだ。



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