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美しい手
大学の時、友人が卒業論文のテーマに「手」を選んだ。いろいろな人に、手の写真を撮らせてもらい、その人のそれまでの人生を語ってもらうというものだった。若者の手には、怪我や突き指などのなごりがあり、その時のエピソードが語られる。職人、スポーツをする人、楽器を演奏する人などの手には、それぞれの作業に伴った変形やタコなどがあり、そうした手に至るまでのドラマなど、手から見えるその人の人生が、どれも魅力的で面白いのだと友人は話した。
また、手の写真を撮らせて欲しいと頼んだ時に、快諾してくれる人と嫌がる人とがいて、それも興味深いとのことだった。
私の母の手は、右手の薬指が少し曲がったままになっている手だった。皮膚の弱かった母は、子どもの頃、寒い冬の道を、自宅から親戚の家までただ歩いただけで凍傷になってしまったのだという。医者は切断を勧めたが、女の子だからそれだけは勘弁して欲しいと父親が懇願し、筋が張って伸び切らないままの薬指が残った。
母の実家は、木工所を営んでいた。男兄弟ばかりの上から2番目で、小学生の頃から、家族やたくさんの住み込みの職人たちの食事作りを担当した。
終戦直後の食べものがなかったある日、弟たちがペットとして飼っていたアヒルをさばいて食卓に出したところ、誰も食べてくれなかったという。
「あれほど、切なかったことはなかったねぇ。それくらい、食べるものがなかったのよ」と、母はクスクス笑いながら、よく話してくれた。
そんな時代を生きてきた母は、晩年になっても皮膚が弱いままで、体力が落ちるとすぐに炎症をおこし、ゴム手袋が手放せなかった。大きくはないものの、節くれだった太い指で、曲がった薬指を隠すこともない。皮膚は厚くなり、私が触れない熱いものでも平気で持ち上げるし、合成洗剤を使ったくらいで手が荒れたりすることもない。皮膚が弱いはずなのにと、いつも不思議な感じがした。
大学進学を機に、私が一人暮らしを始めてしばらくたった時、ふと母が、私の手をとると、
「もう、なんにもしない手じゃなくなったねぇ」
といって、両手で包んで撫でた。
「当たり前じゃん、料理も洗濯も自分でやってるんだから」
と私は笑った。
いずれやらなければならなくなった時には、否応なしにできるようになるからと、高校を卒業するまで、母が私に家事の手伝いを強いることはなかった。子どもの頃から料理ができるように育てることも親の愛ならば、幼い頃から家事一切をこなしてきたわが身を振り返り、やらなくていいうちは無理にはさせまいとするのも、また親の愛だった。
時代は令和を迎え、女性の手は、どんどん美しくなっている。ハンドクリームは次々にいいものが出ているし、食器洗いは食洗器がこなし、家電は充実、育児中でも綺麗なネイルアートを施している人も珍しくはない。いくつになっても、女性にとって、白くほっそりと滑らかな手は憧れである。
先日ある集いの場で、ふと、正面に座っていた年配の女性の手に目が留まった。私の母よりも、さらにごつい手だった。りんご農家に嫁いで数十年、それはそれは大変な仕事だったというが、老いてもなお現役で仕事を続けている。
なんと、美しい手だろう。
白くもなければ、細くもない。滑らかでないどころか、シワだらけだ。
今日、おばあちゃんと呼ばれる世代の女たちの手は、その多くが、若い世代には見られない、ゴツくて分厚い手だ。そしてそれは、戦中戦後を生き抜いた、たくましさと温かさを宿した美しい手だと、私は思う。
【大人も楽しめる絵本のすすめ】
~人生の忘れ物に出会える本〜
『ハルばあちゃんの手』 山中恒/文 木下晋/絵 (福音館書店)
この絵本が出版された時、「え?これが児童書?」と、少し驚いたことを覚えています。相手が子どもだからこそ、子ども騙しではない、そんな絵本です。
戦争で父を亡くし、結婚してからは、神戸で修行をつんだ夫と小さなケーキ店を営んだハルという女性の生涯を、シックな鉛筆画で描いた大判サイズの絵本です。物語は、ハルの”手”を中心に語られています。
当時70代だった私の母に、初めてこの絵本を見せた時、老いてシワだらけになったハル夫婦の顔が大きく描かれたページをめくった瞬間「うぇ~、やぁだねぇ~」とクスクスと苦笑いしていましたが、「誰もが、こんな感じ(の人生)だったんじゃないかねぇ」と言って、本を閉じました。
物語は、夫を見取り、老いて故郷へ帰ったハルが夫を思い起こして「私は、あんたのおかげでずっと幸せだったよ」という言葉で閉じられています。老いたお母様へのプレゼントにも、オススメの絵本です。
全国の図書館の、児童書コーナーにあると思います。良かったら、手に取ってみてください。
#エッセイ #人生の忘れ物 #大人の絵本
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