人生年表〜自戒を込めて〜
自戒5 つもろん中国に行く!
これまでの自戒日記を読んでくださった方は今回も習い事の話だと思ったんじゃないでしょうか?まぁ習い事という受け取り方もしようと思えばできます。私は小学校2年生の終わりに差し掛かった時期に中国語を学びに中国に行きました。
なぜそんな突拍子もないことができたのかと言いますと、私の母は中国人なのです。そして、自分の子どもが中国語を話せないことは許せなかったらしいんですね。
というわけで、母は仕事を辞め、私は小学校を11ヶ月休学(12ヶ月休むと留年)し、母と私(父は仕事があるので日本で留守番w)で母の故郷に飛び立ちました。
中国の家族は当然歓迎してくれました。(2年に1回ぐらいの頻度で遊びに行ってたので面識はあります) しかし飼ってた犬は不審者だと思ったのでしょう。めちゃくちゃ吠えられて、泣きました。つもろんは泣き虫です。もちろん吠えられたのは最初だけで一度餌をあげたら吠えられなくなりましたw
プチ情報: 中国の私が住んでた地域では、犬の餌に人間の食事の残りをあげます。鳥豚牛魚の骨と米とスープでねこまんまにしてあげます。
そんなこんなで中国での生活が始まりました。コミュニケーションは基本的に全て母の通訳を通してとっていました。中国語を学ぶのが目的なので、日本人学校ではなく、現地の小学校に通いました。年齢的には小学校3年生でしたが、中国の小学1年生のクラスに入りました。最初は母親同伴で授業を受けてました。ちょっと恥ずかしかったですが、通訳がないと何もわからないので仕方ありませんでした。
絵を描くのが好きだったので、休み時間に描いた絵を見せてクラスメイトとのコミュニケーションをとっていました。
母が授業を同時通訳し続けてくれたのと、母同伴で学校に通う恥ずかしさが良かったのか、3ヶ月ほどで小学校でしゃべるには不自由なくなりました。
毎日の宿題で出される漢字の書き取りでは字が綺麗だと褒められていました。「自戒3 どこまでいっても銀賞」でお話しした書道の賜物です。
夏休みに入り、近所に一緒にサッカーをやる友達ができました。「自戒2 サッカー向いてなさ過ぎ」を読んでくださった方は疑問に思うかもしれません。サッカーは懲りたのではないのかと。はい、競技としてのサッカーは辞めました。しかし、この友達とのサッカーは競技としてのサッカーではなく、どれだけボールを高く蹴り上げれるかという新たな楽しみ方だったのです!
こうして、現地の友達もできたことで中国語は順調に成長していきました。
続く
おわりに
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今回、つもろんの自戒日記が中国編に突入したわけですが、ここまで5日間自戒日記を毎日投稿してみて思ったのは、これ日記じゃなくね?それだけじゃなく、自戒にもなってなくね?ということです(笑)
よって、「自戒日記」から「人生年表〜自戒を込めて〜」にタイトルを変更しようと思います。タイトルが変わってもよろしくお願いします!
中国編も引き続きお付き合いください!
それでは次回、「自戒6 日本鬼子?」でお会いしましょう♪
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