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OIスピーカー【掌編】2,336字
巷では「AIスピーカー」なるものが流行っているようですね。
スピーカーに向かって、例えば「今日の天気は?」と尋ねると「くもり時々雨です」と音声で答えてくれるあれです。インターネットや予め入力したメモ書きの情報から返答するようですが、いまいち使えないという声も聞きます。
しかし、今回のお話の主人公、齊藤玄一路翁のAIスピーカーはかなり優れているようです。
しかも、玄翁は昭和から平成を生きた男。平成の初めに死んだ老人のAIスピーカーとはいかなるものだったのでしょうか。
とはいえ、玄翁もAIスピーカーをいまいち使えないとよく憤っていたようですよ。
それでは、玄翁のお話を見ていきましょう。
おっと、すみません。玄翁のそれはあなたたちのよく知るAIスピーカーとはちょっと違うようですよ。まあ、さしたる問題ではありませんがね。
仮に「OIスピーカー」とでもしておきましょうか。
*****
「おい」
これが玄翁のAIスピーカー、もとい「OIスピーカー」起動の言葉です。
この日も玄翁はいつものように、きっかり朝6時半に目覚めると布団から半身を起こして「おい」と合図をします。
すると襖の後ろに待機していた使用人が「失礼いたします。おはようございます」と盆に薬と水、そして温めの茶を載せて持って来ました。
「おい、なんだこれ」
「おはようございます。はい、いつものお薬とお水、それとお茶――」
若い女の使用人の国訛りの言葉を遮り、玄翁は静かに始めます。
「そういうことを聞いてるんじゃない。わからないか。私は毎日、薬を水で飲んで、それから茶を飲む。お前がそれを持ってきたことは見なくても分かる。でも、これじゃあ、どっちが水でどっちが茶なのかわからないじゃないか。水も茶も同じような湯呑に入れるんじゃないよ」
OIスピーカーは下を向いて玄翁の話を聞いています。
「お前さんは見ない顔だが新入りかね、お前は私が水と茶の違いも見てわからない爺だと思ってるんじゃないだろうね。私はね、朝っぱらから水か茶かどっちだろうかと目を凝らして迷う一瞬の時間と労力が無駄だと言ってんの」
OIスピーカーが口を挟む隙なく玄翁は話し続けます。
「一言、こっちが水で、こっちが茶だとお前からあってもいいんじゃないかい。それともお前はそんなの自分の仕事じゃないと思っているのか。茶を運ぶだけだったら猿にでもできるんだよ。お前をすぐに田舎の山に送り返して代わりに猿を連れて来たっていいんだ」
下を向くOIスピーカーの耳が赤くなってきました。
「それとも何かい。お前に渡している賃金ではそこまでしてくれないってかい。一言欲しいならもっと寄こせと暗に言っているわけかい」
OIスピーカーは無言で首を振るしかできません。
「そもそも、うちの家計はグラスの一つも用意できないほど落ちぶれてるのかい。戦後日本に齊藤ありと言われたこの私の家がこんな調子では日本ももうおしまいだね」
もちろん、そんなことはありません。齊藤玄一路翁が一代で築いた財は年々増え続けています。
玄翁は「おい」とOIスピーカーを呼び出したのはいいものの、その仕事には満足していないようです。
OIスピーカーの交換です。この若い田舎娘は明日になれば別の使用人に換えられているでしょう。なに、よくあることです。玄翁がクビだと言わなくても、使用人の上の者が気を利かせて彼女を解雇するのです。
「おい」
湯呑の件が終わった後、今度は別のOIスピーカーがやって来ました。
「失礼いたします。おはようございます。本日は13時から本庄様がいらっしゃいます。夜は作治庵にて会合があります。本日のご予定は以上でございます」
「うん、それで」
「……はい、それでと申しますと……本庄様からも会合の出席者の方々からもこれといって変更等の連絡は――」
「あのね」玄翁は静かに始めます。
「もし、先方から何か連絡があったのにそれを最初に言わなかったらお前は即刻クビだよ。時代が時代なら腹を切らせているかもしれない。でも、そうじゃないだろ」
話を聞く中年男のOIスピーカーの額には大粒の汗が見えます。
「今日は雨じゃないか。先方に雨だけど大丈夫かとか、時間ずらしましょうかとか気遣いの連絡はしたのかいって言ってんの。まあ、奴らにそんな不満なんか一言も言わせないけどね。でも、そういう問題じゃないの。お前は傍に置いてやって何年も経つのにそんなこともわ・か・ら・な・い・の・かって」
玄翁は顔を拭いていたおしぼりをOIスピーカーに投げつけます。
「も、申し訳ございません。ですが、そのことでしたら既に手配済みでございます」
「だったら、なおさら悪いわ。何か普段と違うことをするんだったら何でも報告しろって言ってるだろうが。おい」
玄翁はこのOIスピーカーにも満足していないようです。ただし、長年使い続けてきたこのスピーカーはそれなりに使い勝手がいいらしくまだまだ交換することはないでしょう。
玄翁の理想は「おい」だけで全て済むこと。しかし、それだけで済むことは少ないようです。何十年も後に出るAIスピーカーと比べれば遥かに優秀なんですけどね。
その後、玄翁は健康のための体操を庭で行います。
とても60過ぎとは思えない鍛え上げられた上半身を寒空の下に晒します。
おっと、何やら屋敷の奥が騒がしいですね。玄翁もそれに気付いたようです。
「お――」
「おい」と言う間もなく飛び出してきた何かに切り伏せられてしまいました。これは少し前に解雇したはずの古いOIスピーカーですね。大分きつく当たられた末の解雇だったので、恨まれていたようです。
玄翁が死んだのでこの話はおしまいです。
玄翁のOIスピーカーのように、あなたたちのAIスピーカーが暴走することはまだないのでよかったですね。
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2021年3月
見出し画像に写真をお借りしました。
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