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佐藤を一人消してきた【創作】
ため息を吐きながら片手で首元のボタンを閉める。
昨日は暑いくらいだったのに……。
寒の戻り。前日よりも十度以上低い温度に背を丸めながら俺は通りを歩く。プレゼントを買いに行く為だ。
自然と目がいった。自分とは反対に上着を脱ぎ、そしてそれを丸めながら男がこちらの方に歩いて来たから。
あれは──。
「久保田?」ゼミが一緒だった久保田だ。偏屈な性格だったが自分とは馬が合ったのか大学ではよく一緒にいたもんだった。
「三年……ぶりか?」卒業してからは一度会ったきりで連絡さえもしていない。確か、お互い就職して半年くらいにたまたま会って……そうそう、飲みに行ったんだ。久保田は上司だか先輩だかと折り合いが悪くて愚痴ってたっけ。
「ああ、久しぶり」久保田は知っている頃よりも少し痩せたようだが目は輝いているというか、ギラギラとしているというか。前よりも余裕が出たのだろうか。
「今日は何、買い物? 仕事? 俺は今から向こうの店に」立ち止まっているとより寒さを感じる。早いとこ行ってしまいたい。
「ああ、ちょっとな。買い物? そんな大荷物持ってか。あー実は、今──」
話が終わりそうだったので別れを言って立ち去ろうとしたのだが、久保田の次の一言に引き付けられた。
「今な、佐藤を一人消してきた」丸めた上着をさすりながら久保田は平然とこんなことを言う。何を言ってるんだ、こいつは。
佐藤という誰かを殺してきたとでも言うのか、まさか……! と普通は思うかもしれない。そうだった。こいつはこうなんだ。大学時代こういう遠回しの言い方をして周りにウザがられていた。
そういえば久保田はこんなこともよく言っていたっけ。
「佐藤という名字は日本で一番多い名字である。つまりはもっとも繁殖力に長けている一族なんだ。そしてこの少子化の中このままいくと他の名字は駆逐されて日本人はみんな佐藤になってしまう。だからなるべく佐藤を減らさなければいけない」
まあ、これは俺の名字が佐藤だからこその久保田のイジりというかノリというかそういうやつだ。そして、俺はいつも「お前の彼女も佐藤じゃん」と返していた。
つまり「佐藤を一人消してきた」とはそういうことだ。久保田は本当に佐藤を一人消したんだ。一番身近だったその佐藤何とかちゃんを。そう、法的に。
久保田が歩いて来た方には何があるか。久保田はたった今、佐藤を一人消してきたんだ。そしてまた、久保田を一人増やしてきたとも言える。そう、向こうの役所で。
つまり「おめでとう」だ。久保田が「佐藤を一人消してきた」と言ってから数秒も経っていない。
俺の即座の祝言に久保田は少し静止した後、ニヤリとして「ありがとう」と言った。こんなに早く俺が答えを出したのは予想外だったのかもしれない。
「で、あの彼女だよな?」何気なく聞いたこの質問は野暮だった。今度は俺が静止させられた。
「いや……彼女じゃない。……会社の上司だった奴だよ」久保田は何を言ってるんだという目で見てくる。意外なのはこっちの方だが。
まあ〜、でも、そうか。そういうこともあるよな。入社した直後はボロクソに会社や上司のことを言ってたくせになぁ。顔見知りの彼女が相手ではなかったことよりも、あの久保田が女上司と結婚したということに驚かされた。
あまり根掘り葉掘り聞くのもあれだし、何より寒いし。俺も一発決めてサヨナラしたい。
「まあとにかくおめでたいよ。また連絡する。お前が『一人佐藤を消した』って言うんなら、今度は俺が『佐藤を一人増やしてみせるよ』」
決まったと思ったが久保田はピンときていないようだった。自分の事に浮かれていてまだ周りが見えていないのかもしれない。説明するのもカッコ悪いし寒いしとっとと行くことにしよう。
久保田に別れを告げ、キャリーケースの取っ手を持ち直す。さあ、服屋に行こう。最愛の彼女、小春の為に可愛いのを買ってあげたい。女子の服なんて買ったことないからよく分からんがフリフリの付いたスカートがいい。
段差が多い場所ではこぼれないようにキャリーをそっと持ち上げる。久保田ではないが段々と暖かく感じてきた。少し立ち止まってひと息付く。役所前の広場が見える。さっきはここで久保田が婚姻届を出したんだよな。今度は俺が──。
人だかりができている。何かイベントなのか劇なのかしているようだ。そういえば今日は日曜だ。フリーランスをしていると曜日の感覚がなくなるから困る。愚痴ってた久保田が会社に残って、あの時はうまくいってた俺が退職してるんだもんな。世の中何があるか分からない。あいつが上司と結婚することも別に不思議ではないんだろう。
あれは……フラッシュモブってやつか。横になっている男性を中心にいろんな格好の人が集まっている。一見無関係な人達が実は仕掛け人で踊ったり歌ったりして盛り上げてるんだ。告白やプロポーズにも使われるらしい。俺もこんな風に皆に祝福されながら小春に──。
ん、これはフラッシュモブじゃないみたいだぞ。サイレンの音も聞こえてきた。
俺は振り返ってみる。当然ながら久保田の姿はもうどこにも見えない。そしてキャリーケースを抱き抱えるように寄せてささやいた。
「怖いねぇ〜、小春ちゃん」
依然として北西からの季節風は吹いていたがもう何も感じなかった。
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