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クァラクという飲み物【歴史ミステリー】

「それそれ、関東じゃ、クァラクなる黒い飲み物が流行ってるらしいな」

「はて、そりゃ醤油じゃあるまいか。江戸の醤油はお歯黒色じゃというし」 (『島原二娼』1809年、一部文字修正)

 上記は文化文政期頃 (十七世紀初頭)に書かれた洒落本の一部である。

 上方に住む二人が江戸の町の飲み物について話をしている。

 耳馴染みのないこのクァラク(江戸の発音だとカラクの可能性もある)という飲み物は、二人の話によると醤油やお歯黒のように黒い飲み物だという。

 残念ながらクァラクについての資料は他に残ってはいない。

 ただ、民族美術風俗館 (東京)という江戸時代の物を中心とした展示を行っている博物館に気になる物がある。

 それは文化文政期に活躍した海遊佐 (生没年不詳)という浮世絵師の作品 (名称不詳)だ。

 江戸の町の風景を描いた作品であり、当時の町民文化を伺い知ることができる貴重な資料として保存されている。

 引用許可が得られなかったので機会があれば現地で確認していただきたい。

 絵の左中央に描かれているのは天麩羅の屋台の前で物欲しそうに指をくわえる子供。

 注目すべきはその後方だ。右後ろから桶を担いだ物売りが歩いてきている。

 一見、この時代の夏場によくいた、冷や水売りに見える。

 しかし、首にぶら下げた看板の文字。横書きで「楽◯」という二文字が確認できる (◯は判読不可)。

 右から読むとして「◯楽」はクァラクと当て字することができないだろうか。

 冷や水のように夏場に売られた飲み物としてクァラクは庶民の間で広まっていたのだろうか。

 この話は長らくこれ以上の進展がなかったのであるが、たまたま知り合った若手の落語家さんを通して興味深い話を聞くことができた。

 この方は丸石流一門の方であるが、師匠のそのまた師匠は元々、牡丹亭一門だったという。

 牡丹亭といえば戦前に解散した一門である。

 師匠の師匠は若い時分、牡丹亭の師匠からこんな話を聞いたそうだ。

 落語の古典は明治や古くは江戸時代から現在に伝わるものであるが、話のディテールは時代に合わせて代えていくものだよと。

 近年ではあまり演じられなくなったものに「三島」という噺があるそう。

 その噺の中で主人公の男が手当たり次第に買い食いをする場面がある。

 牡丹亭の師匠が当時見せて貰った、一門に伝わるメモ書きには天麩羅に寿司、味醂と書かれていた。

 味醂は江戸時代では高級な酒として飲まれていたという。

 そして、もう一つ、可楽という謎の食べ物なのか飲み物なのか、読み方さえ分からない物。

 戦前の師匠方たちも誰も分からなかったという。

 師匠の師匠のそのまた師匠の話で、資料もすでに戦火で失われており、実に不確かな情報ではあるが、若手落語家さんは私の話を聞いたことでこの話を思い出したのだそう。

 この「可楽」という物、洒落本の「クァラク」であり、浮世絵の「◯楽」と同じ飲み物ではないだろうか。

 1886年、アメリカである飲み物が生まれた。それはコーラと呼ばれる。

 少なくとも文化文政期 (1800年代初頭)には江戸で確認されていた黒い飲み物。

 1853年に日本に来航したペリー一行。

 可楽(クァラク)がペリーの手によってアメリカに伝わりコーラになったと考えるのは短絡的だろうか。

 奇しくも、コーラは中国では可楽と表記される。

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爪毛川太
爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!