信長が舞ったのは本当に「能」だったのか?【Hiphop & Switch】
織田信長が明智光秀に反乱を起こされて、お寺で命を落としたのは有名な話である。
今際の時に「人生五十年〜」と能を舞ったとも伝わっている。
しかし、本当にそれは能だったのか。
当時、弥助をはじめとして、アフリカ系の武士が大勢いたことは最近の研究によって周知のこととなっている。
有名どころでは豊臣秀吉もアフリカ系だったという説もある。
信長は新しもの好きとして知られていた。
弥助や秀吉からアフリカの音楽を学んでいた可能性は高い。
アフリカ系アメリカンの文化、ヒップホップは近年できたというのが通説ではある。
しかし、当時、ヒップホップの赤ちゃんみたいなやつはすでにアフリカにあったのではないだろうかというのが私の唱える新説である。
つまり、信長が最後に舞ったのはヒップホップだったのだ。
そうすると武士がよくしているあの髪型の理由も頷けるだろう。
そう、ヘッドスピンする為である。
信長はマイメンの秀吉を「ハゲネズミ」と呼んだそうだ。
長らくこれは蔑称とされてきたが、「ヘッドスピンしやすそうないい頭ですね」というリスペクトだったのだ。
この「信長最期ヒップホップ説」はまだまだ学会では認められていない。
正直、トンデモ説扱いされている。
現在、学会では「信長は最期に『Switch』をしていた」説が主流になっている。
これこそトンデモ説ではなかろうか。
信じられないかもしれないが紛れもない事実である。
スイッチは平成の終わりに登場したゲーム機であり、信長の時代にあるはずがない。
ファミコンだってあったかどうか怪しい。
それを『あつ森』をしていたと唱える学者たち。
喝でしかない。
百歩譲ってもGB版『牧場物語』辺りではなかろうか。
余談ではあるが筆者は、『どうぶつの森』のキャラではアヒルの「のりっぺ」が一番好きである。