
恋花粉
きっかけはほんの些細なことだった。空流が最近になって育てている襟足を心愛が天山みたいとバカにしたからだ。
誤解のないように言っておくが天山はあの髪型を物ともしない偉大なレスラーである。逆に言えばあの十字架は天山ほどの男でなければ背負う?ことはできないのだ。
空流が偉大かどうかはまだ判断できない。まだ彼は若いのだ、そう心愛も。
心愛が「バカ」と呟いた時、空流は何メートルも向こうで改札を通ろうとしていた。空流の耳には到底届くはずもない。心愛だって聞かせるつもりで言ったのではない。しかし、ここで運命のいたずら。
花粉症に罹患していた心愛は「バカ」と呟くと同時にくしゃみが出て、勢いで「バカップ!」と叫んでしまったのだ。
空流が振り返ると涙を流している心愛。当然、花粉症の症状である。
女の涙を見せられてハイサヨナラできる男はいない。
空流は襟足をなびかせて心愛の元に戻った。
「ちょ、おめ、なに泣いてんだよっ」
「泣いてねーつぅの。花粉症だって」
ここで花粉症のせいと言ったところで空流は信じない、いや、信じなくていいのである。
空流は照れ隠しで肩バンすると見せかけて心愛の頭を抱き寄せた。ハイナカナオリである。
息を呑んで様子を伺っていた駅構内の観衆たち、スタンディングオベーション。まあ駅なので皆最初から立っていたわけではあるが。
「ちょ、やーめー、てめぇーらっ」
「うっぜ、うっぜー」
口ではこう言いながら満更でもない空流と心愛。
そのうち観衆の一人がスマホで、いい意味でやたら盛り上げようとする感が強過ぎる『恋空』BGMを流し始めた。
世代ではなかった二人はピンと来なかったが、観衆の様子から意図を察し、そろそろ撤退した方がいいなと思い始めた頃。
二発目の心愛のくしゃみ。結果、弾みで漏らしてしまうのだが、これが解散の合図となったのか観衆たちは散っていった。
忘れないでほしい。心愛は漏らしてしまったが、これは誰にでも起こり得ること。空流にだって、あなたにだって、天山にだって。
この後の長い人生の中で二人はそれを学んでいくだろう。
でも、今はまだいい、若人よ、いっぱい悩め苦しめ。
空流と心愛、二人はまだ若いのだから。
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