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豊かな食卓【掌編】798字
まずは惣菜コーナーに向かう。
いつもはおにぎり二つだが、今日は太巻きに目を止める。
太巻きだったら一本でいいな。そう思い手に取る。
夕暮れ時。
週に二、三回訪れるスーパーマーケット。自分と年老いた母のため食料を調達する。
次に菓子コーナー。
小さめの板チョコに手を伸ばす。母のおやつだ。
その気はなくても自然と酒類コーナーに足が向かう。
飲みてぇなぁ……。ワンカップを握りしめ唾を飲む。
駄目だ。カバン持ってきてねぇからな。落としたら手間だ。
太巻きとチョコレート……。
今日はこんなもんで充分だろと出口に向かう。
その途中、特設コーナーで松茸が売られているのを見つけた。
丸っこい茸が一本七千円……でっかいかごに入ってら。
こっちの外国産は一本千円か。多少パックが嵩張るが……これなら持てるか。
松茸なんてインスタントの汁物しか飲んだことねぇが、丸々一本焼いて食ったら旨そうだ。
たまにはいいもん食ったってバチは当たんねぇだろう。
豊かな食卓に思いを馳せながらスーパーから一歩外に踏み出す。
「お父さん、お会計してない商品ありますよね?」
肩に手を置かれる。
振り払う動作で上着のポケットに入れていた松茸のパックが落ちた。
振り返ることもなく走り出していた。後ろで罵声が聞こえた。
ひと蹴りひと蹴り地面を進む度に関節という関節が軋みあがる。背骨を真っすぐに保っていることができない。身体は老人のように折れ曲がっていたが顔だけは息をするために無様に上を向いていた。
通りを抜け路地に転げ込む。雑居ビル裏の非常階段に倒れるように座り込んだ。
しばらく経っても呼吸は荒いまま。ぜーぜーと音を立て身体全体で息をする。幸い追って来てはいないようだった。
息が落ち着いてきても男は動けないでいた。
空を見つめたまま男は懐から潰れた太巻きとひしゃげた板チョコ、ワンカップを取り出す。
母ちゃん。ごめん。
男が母の元へ帰っていく頃にはとうに日は沈み真っ暗闇であった。
2020年10月
***
バレンタインなのでチョコが登場する話を。
ワンカップを実は盗っていたというシーン。あえて描写をせずブラインドにしましたが、もう少し書きようがあったのではと思わないでもないです。
見出し画像にお写真をお借りしました。このような話に使ってしまい恐縮です。
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