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か細いイノチ【掌編】1,372字
「お母さん、助けて!」娘が叫びました。何事かと思い駆けつけると、両手に何かを包んでいます。それはそれは小さい何か。
私は娘が助けようとしたその命をなんとしても救ってやりたいと思いました。何でもフラフラとしていたところを娘が見つけたそうなのです。
生き物好きの娘は私よりも知識があります。「この子……お腹に赤ちゃんいるよ」なんということでしょう。それは妊娠中だったのです。
彼女自身も人間から見れば小さい命。なのに自身のお腹にはさらに小さな命を宿しているのです。そして彼女たちの命の灯火は今にも消えそうです。なんて儚いのでしょう。
私は娘が生まれた頃のことを思い出していました。私も人より小柄です。そして娘は未熟児で生まれてきました。それが今では小学中学年にして私よりも大きく頼もしい我が子。
私も娘も今、こうして健康でいられるのは周りに恵まれたから。もしも何のサポートもなければ、生きてはいないでしょう。
何としてでも助けたい。近くの動物病院に電話をしました。そこだけじゃありません。いくつもいくつも……。どこもまともに取り合ってくれません。ふざけているのかと文句を言ってくる病院もありました。
どんな生き物の命も平等です。しかし、人間は命に優劣をつけます。それがしょうがないことはわかっています。人間が一番、そして人間が殺生に罪悪感を抱くような動物の命ほど大事にされます。大きい生物、頭のいい生物、見た目が可愛い生物。逆に小さい生物や害獣の命は蔑ろにされます。
私だって人間社会に暮らすものとしてこの価値観の恩恵を受けてきました。割り切らなければいけないのはわかっています。でも、娘にはまだこんな現実は見せたくなかった。
「助けてあげられなくてごめんね」ともう既に息をしていない蚊の母を手に包み涙ぐむ娘。私たちだって蚊に生まれていたら同じ運命だったかもしれない。しかし、人間だったからこそ、人間社会の恩恵を受けて助かったのも事実。
それに私も、今まで数多くの蚊の命を奪ってきています。今までの蚊とこの蚊、何が違うのでしょうか。結局、私も、感情移入できる生物を選んで助けようとしているに過ぎないのです。ああ、「命の『大切さ』を教えてくれた蚊さんに『感謝』しましょうねぇ」なんて命を奪う免罪符を、早くも娘に押し付けなければならないのでしょうか。しかし、悔しそうに目を伏せる娘は何か考えているようです。
私も考えがあります。突飛な考えというのはわかっています。しかし、私は自分の中のこの矛盾に我慢できなくなりました。ただの自己満足です。自分も娘も不幸にします。蚊や他の生き物の助けになるわけではありません。この情念に囚われた今、もはや、止められません。私はモンスターとなるのです。
「お母さん……」としばらくして娘が口を開きました。続く言葉に耳を疑いました。これは天命。娘も私と同じことを考えていたのです。
私たちは人間でありながら蚊でもある蚊人間として生まれ変わりました。私は死んだ蚊の母親の愛憎と記憶を取り込んだモスキートマム。
娘は生まれてくることが叶わなかった子たちの無念と生への渇望を取り込んだボウフラガール。
私達は五百ヘルツの鳴き声で今日も吠える。人間であり蚊もありながらどちらの敵でもある。それが私達、蚊人間なのです。
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