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弛むこと勿れ 【句誌、その後】 【 #振り返りnote 】
『椎』誌十月号が届いています。
今月もいつも通りと言いますか、後ろから数えた方が早い席次ですが
今月は四句掲載、うち三句は添削なしですので、
上々の結果なのかも知れません。
誌への初投句は、今年の二月号でした。
大幅な添削を加えた上での三句掲載だったことを考えれば、
我ながらこの約一年、まぁまぁの進歩と言っていいのではないでしょうか。
ですが今回、この結果に喜ぶと言うよりは
敢えて気持ちを引き締め直すというのが、正直な感想です。
添削を頂いた句は、句会でそれなりに好評だった句を
何も直さずにそのまま投句したものでした。
句会の講評を生かさずに、推敲を怠った投句をして
添削を頂くというのは実は今までもよくあったことです。
今回の添削は、もうそろそろそのような怠惰は慎むべき、と
叱咤を頂いたように感じました。
以前述べた通り、誌への投句は七句、句会への投句は五句です。
今回の七句は、句会で好評だったものをそのまま一句、
句会の講評を受けて推敲したものを三句、
新しく作句したものを三句投句しました。
添削なしで誌に掲載された三句のうち、二句は新しく作句したもの、
残りの一句は句会の講評を参考に季語も選びなおして
大きく推敲したものです。
つまり、句会投句した五句のうち二句のみ、
添削の上掲載されたことになります。
そのように考えた場合、これは決して喜ぶべき結果ではありません。
推敲の結果が認められたものが、一句のみ。
推敲の怠りを指摘されたものが、一句。
いわゆるまぐれ当たりが、二句。
結果、実力が認められた句は、一句のみ。
これが、今回の結果の正しい受け取り方ではないか、と。
突然ですが実は先日、俳句の講座と
句会形式の選句トレーニング会がありました。
私の句は互選で一票、師匠の選に至っては予選入選のひとつで
講評の俎上に載せて頂くことすら叶いませんでした。
まだまだ、ですね。
また一から、学び直しです。
学び直しの一歩として、
今号掲載句の中で添削をいただいた句を記しておきます。
遠くより南部風鈴朝涼し
原句は
遠き音の南部風鈴朝涼し
でした。
「風鈴」と置いたことで、風鈴が鳴っている、音がしているということは
すでに表現されているのです。
従って、「音」という言葉を置くことは表現の重複です。
省くことが望ましい、という添削だと受け取りました。
また、「遠く『より』」と置くことで、
「聞こえる」ことを省略しつつ余韻をもって伝えることができます。
なるほど、かくありたし、という添削です。