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100mileレースを走った記録 (前編)

先日、長野県の小海町という自然あふれる街で『OSJ KOUMI 100』が開催された。


It's my 3回目の100milesレースである。

今回もまた、めちゃくちゃ貴重な、最高な、経験をしてきたので

文章に残そうと思う。





これを読んでいただき、100mileを走ることが少しでも身近に感じていただけれれば幸いです。

100mile走ってみたい!って思ってもらえたら最高w)





『OSJ KOUMI 100』に対する想い

言わずもがな、コロナウイルスの影響で、2020年春夏シーズンの集まり事はすべて中止。もちろんトレイルランニングのレースも全て中止になった。


僕は中国スペインアメリカの100mileレースにエントリーし、出場する予定だったが、海外に行くことすら叶わず、目標レースがない中での夏のトレーニングを実施した。

どんだけ海外レース計画しとんねんって話は置いておいて。



今でこそ緩和されたけど、コロナ自粛期間中は、山には行けないし、近所をランニングするだけで周りから白い目で見られる。大好きなランニングが思いっきりできないことに、モヤモヤした時期もあった。


夏が終わり、新しい生活様式という言葉が出始めた頃、『OSJ KOUMI 100』のエントリーが開いた。


これ、出るしかないな~。」と所属チームであるチキンハートRTのみんなが口を揃えた。





KOUMI100のエントリーが開いてから、毎週の練習や、飲み会での話題は100マイルのことで持ち切り。KOUMI100で初の100マイルに挑戦する者、何度目かの100マイルをKOUMIでやっちゃう者、何度もKOUMIに挑戦しているKOUMIベテラン。チキンハートRTからは9人のランナーが出場を決心し、ポチった。7月中旬のことであった。




香港のHK168 ,関西の草100マイルである達磨24耐、に続く3度目の100マイルレース。しかもKOUMI100は日本の100マイルレースの中で最も過酷と言われており、毎回の完走率が低い。とってもとってもハードな100マイルなのである。


またドえらいレースにエントリーしてもぉたでぇ~。」完走できるかどうかの不安よりも、チームメンバーと限界へ挑戦できるワクワクが心を埋め尽くした。




Chicken Heart Running Team」発足して約1年のトレイルランニングチーム

今はメンバーは20人いる。

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トレイルランニングは勝ち負けじゃないんやけど、それぞれのレースに対して色んな想いを持ったランナーが、各々で定義した「完走」を目指してスタートラインに立つ。

KOUMIに参加するにあたって、我々のひとつの「完走」は「チーム全員が完走

スタートラインに立つレーサーは勿論のこと、現場でサポートしてくれるメンバーや、応援してくれる人、チキンハートRTに関わる全ての人が出し切ろう。という目標を掲げた。

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その目標を掲げてから、チームの練習には熱気が増し、トレーニングメニューも何かと「5」を意識する練習になった。

(KOUMIはあるコースを5周するレースなので、5周回する練習のことを「 #5の練習 という。)



何だか、誰も知らないような弱小チームが、バルセロナ(チー100さん)やレアルマドリード(LDA-RCさん)等のビッグクラブが出場しているチャンピオンズリーグに出るような感覚に浸って、挑もうとするのが楽しかった。





『OSJ KOUMI 100』の過酷さ

KOUMI100って、いったいどんなレースなのか。
何が過酷やねん?

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簡単に言うと、1周35Kmの林道や山道のランニングを、5回繰り返す。

さらに、1周走ると、獲得標高が1780m

どんだけ登るねんっていうと、富士山5合目から山頂までが、それとほぼ同じ。


35かけることので、175Km。 登ることの富士山5回。

(え、100マイル越えてますやんね?)ここ、過酷ポイント其の①

100マイル走っても、あと15キロあります。





本来のトレイルランニングのレースでは、エイドステーションという休憩所があり、そこで水分補給や簡単な食べ物が用意されており、補給ができるのだが、今回のレースはコロナ対策により、エイドに用意されているのは「ペットボトルの水」。以上!

ここ、過酷ポイント其の②






過酷ポイント其の③は、天候とコースのコンディション。

レースの週に発生した台風が、なんとレース当日に関東に上陸するかも、というスーパーサプライズがあり(結局逸れてくれたのだか)コースの状態は最悪と言っていいほどであった。さらにスタートから20時間程雨が降り続けた。



台風予報の中、最後までレース開催の見極めを粘っていただいた大会開催者OSJには本当に感謝したい。




最高の旅がスタート

トレイルランニングで100マイルに挑戦した人たちはよく、100マイルのことを人生に例える。「100マイルレースは人生をギュッと凝縮したものである」

そんな最高の旅が、土曜日の朝5時に始まった。

冷たい雨に打たれながら、スタートラインに立った426人のランナーがヘッドライトで前を照らし、一斉にスタートしたのである。




この時期に、この悪天候の中、くそ長い距離を走る為に426人が集まるなんて、正気の沙汰じゃない。

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僕は、レースのスタート前後の瞬間が一番好きだ。

何といってもあの高揚感がたまらんのだ。レースは競争ではあるが、僕はそれを発表会だと思っている。今まで練習してきたことや経験を、すべて出し切るためのお祭り。それは走る練習だけでなく、飲む練習寝ない練習、仕事の経験、食生活等、今までの人生のピークをそこに持っていくのがレースなのである。(ちょっと言いすぎか??。。w)



スタート10分前からチームメンバー揃ってスタートラインに立つ。

さぁ、それぞれの旅の始まりだ。「ゴールでええ顔して会おうな」ってグータッチ。

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いつも通り「フォーーーーーーーーー!!!」ってゲラゲラ笑いながら僕はスタートをした。
あぁ、もう最高だ。

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KOUMI100において、突っ込む(初めからペースを上げる)のは禁物だ。

どれだけ早くても、24時間以上は動き続けなければならず、途中で足が終わってしまうとリタイアせざるを得ない局面が生まれる。KOUMI100には4周目をいつまでに通過しなければならないという関門が設定されているのだ。



が、僕はしっかり突っ込んだ。笑

完全にアガっていた。ぶちアガっていた。
うぇいうぇい‼




1周35Kmの区間を細かく分けて、各エイドごとの通過予定タイムを計画しているランナーも多くいるが、僕は経験も殆どなく、「数字に縛られずに、ただレースを楽しんで出し切りたい。」というスタンスで挑んだ為、ざっくりと1,2,3周目を5時間ずつで走り、4,5周はペーサーに委ねようと考えていた。



1周目から、KOUMI100の目玉である「にゅう」の険しさに驚かされた。

にゅう」というのは山の名前で、漢字にすると「

ンっふんっ、とっても素敵な名前なのに、中々の傾斜度と、雨のせいで地面はぐっちょぐちょ。登り下り共に足を滑らせ、シリモチをつくことが多々あった。

おぉ~、これを5回やんのか。。。


でも、一緒に走っているチームメンバーや、スタート地点で待ってくれている人たちのことを想うと、何も辛いことはなく、険しいコースを早い人たちに連れてれるかのように足が進んだ。

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にゅうを下り、しばらくアップダウンのロード、下り基調の林道を経て

スタート地点に戻ってくる。

35Kmの1周が「やっと」終わったのだ。コースを1周走ってみて「これはイケる」と感じた。初めからそうだったが、DNF(途中リタイア)のイメージは全く無く、1周走った時点で「絶対に完走できる」という根拠のない自信が確信に変わった。

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何故かというと、スタート地点に帰ってきた瞬間の歓喜が、とんでもなく大きかったのである。僕の帰りを待っていてくれるみんなに会えた瞬間に嬉しさがこみ上げ、痛みがゼロになる。嬉しくて嬉しくてまた走り出してしまう。


これを5回するだけやん。」ニヤついた口からポロっ。



しかも、2周目以降は東京から現地に駆けつけてくれる仲間が到着する。

さらに、4,5周目はペーサーが一緒に走ってくれる。


あぁ、なんて最高なレースなのかと思いながら、一回目のエイドワークをする。
僕は、なんやかんや上位を狙っていた為、エイドではゆっくりしないと決めていた。
事前に決めておいた、2周目に持っていく補給食をポケットやザックに突っ込み、ゴミを捨てる。
1周目が終わってから、10分以内で「いってきまぁ~っす」と叫び、2周目に入った。

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1周目、4時間23分。

予定よりも30分ほど早い。空はすでに明るくなっていたが、冷たい雨が降っていた。



2周目。さっき通った道をもう一度進んでいく。

当然のことであるが、一通り、426人の2本の足が水分を含んだ地面を踏むわけだから、それはもうグッチョグチョ。トレイルのコース内には川のようになっている所や、水たまりが深すぎて、膝上までハマる所もあった。

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あ~あぁ~~♪川の流れのよ~ぉにぃ~♪」歌ったり

水たまりにはまったらギャーーーっつて叫んだりしながら、いつもと何も変わらない賑やかなトレイルランを楽しんでいた。


2周目の後半、50Km以上も泥まみれのトレイルを走れば、誰もが足に疲労がやってくる。さすがに少しキツくなってきた頃から、とても不思議な感覚を感じたまま走ることができた。

後ろには誰も居るはずが無いのに、普段一緒にトレーニングをしているメンバーたちが、後ろについて走っている感覚があったのである。

「みんなで一緒になって走るよ!」と口では言ってたものの、実際は孤独との闘いでもある100マイル。

振り返っても誰も居ないのは頭では分かっていたので、一切振り向くことなく、ただ前だけを見て走り続けることができた。


みんなのサポート、応援があってこその、僕の挑戦なんだな~と。

挑めていること自体へのありがたい気持ちが溢れていた。「ありがとう~(泣)」


そんなこんなで、2周目が終わる。ラップタイムは4時間55分。

ペースを抑えつつも4時間台で終えることができた。


2周目から帰ってくると、エイドには仲間が沢山いる。みんな遠くからわざわざ来てくれて、寒い雨の中、笑顔で迎えてくれる。たった数分応援をするためだけに5時間も待ってくれているのが嬉しすぎて、痛いの痛いのトンデユク。

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2回目のエイドワークもパパっと済ませた。
(ちょっとゆっくりしたかったが)

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3周目に足を進める。
KOUMI100では3周目が一番辛いと言われている。

体力メンタル、人によっては時間の3つの要素の限界がチラつくからである。



2周を終えて、10時間弱で進めていた僕は、本来の目安だった3周で15時間に対して、いい感じでアプローチできていた。が、しかし膝に違和感がある。

勿論のこと、体全体に疲労感を感じる。

が、しかし、3周目を終えれば、ヤツと合流し、お祭りが始まる。

ペーサーの松山優太である。

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普段、練習するときはいっつも彼がいる。彼は海外レースで優勝経験が多く、とにかく強い。そしてトレイルランニングに対するマインドが最高で、彼と一緒に走って楽しくなかったことがないし、勿論のこと後悔したことがない。

僕にとっての最高のペーサーが4,5周目についてくれる。「こんな最高なことない。」と思いながら、3周目も足を進めることができた。

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100mileレースには、トラブルがないことがない。
何なら、トラブルが起きてからが100mileの始まりだとも言える。


この時僕は、レース後半に訪れる アノ、地獄を想像もせずにトレイルを突き進むのであった



後半に続く。


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Photo by @isymtkm



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