立ち止まるための学校
2016年度 瀬戸ツクルスクール3年目スタート。
新入生は0。
瀬戸ツクルスクールを、小中学校の選択肢にしたい!という思いだけはあるものの、まだ何も達成できていない。
特にどこかの実績のある教育手法を宣伝文句にしているわけでもないし、実績もないんだから、当たり前といえば当たり前。
救いだったのは、生徒がそこにいること。
この辺は公立の先生には絶対にわからない感覚。
何もしていないのに、目の前に生徒が必ずいるってすごいことなんだが。
愚痴っていても何も始まらない。選択肢になるためにできることをやるのみ。
このころはアメブロを書いていて、ちょうど2016年の4月に、こんなことを書いていた。
「立ち止まるための学校」
せっかくなのでアメブロから以下、転載。
つい3日ほど前、ふと思った。
日本にもデンマークの「エフタスコーレ」的な学校があってもいいよな、って。
小学生、中学生、高校生、大学生と関わってきて、よく思っていたことが、
特に何も考えずに、「とりあえず行く」という進路選択をしていることがほとんどだということ。
要するに、「考えること」を先延ばしにしている。
「自分が決める」ということを先延ばしにしている。
それは、そうせざるを得ない社会ということともいえるけど。
勉強ができる、という子どもはまだいい。(これはこれでまた課題はあるけれど、それはまた今度)
でも、特に勉強が好きでもない、そして、実際にできていないのに、とりあえず進学、ということはいかがなものか。
意志のないところに、なにかを詰め込もうとしても無理があるし、そもそも生きていくうえで不得手なものに時間を使ってしまうというのは、ある意味とても危険なことなのだと思う。
それを、大人の変な「安心感を得たい」という傲慢な思いだけで、「とりあえず高校はいっておきなさい。」とか「とりあえず大学まではいきなさい」というのはいかがなものか。
しかも、様々な要因で、「行けてしまう」というのもこれまた問題ではある。
もっと子ども自身が自分の人生をしっかりと考えられる場所があってもいいだろって思った。
一度立ち止まって自分の感覚を育めるところ。
しかも、そこには「評価」というものがまったくなく、ただ「自分が感じる」ということに意識を向けられるところ。
そこで1年間、様々な人と出会ったり、様々なことを聞いたり、経験したり、考えたりする。
そして、自己決定感を持って、進路を選択する。
その上で「進学」を選べば、そこに「自己選択」という感覚が生まれ、「自己決定」という事実ができ、「責任」を持って、「意志」を持って学業に取り組む。
そういうモチベーションのなかで学べば、当然成果もアップするだろう。
もちろんそこで、「働くこと」を選んだとしても、同様の成果は得られると思う。
そういういうことからも、他者の評価を気にせず、自分の感覚を育める、確かめられる場所があることはとても大事だと思う。
で、いろいろ考えたら、けっこう出来るじゃんって思ってしまった。
出来るじゃんって思うと、自然とそのように脳は動いてしまう(笑)
で、あぁあとはやるだけだなって。
もう頭のなかではほぼ出来上がっている。
いろいろと整理していってみる。
お楽しみに。
転載終了。
いいこと書いてる40歳の私w
結局当時は一人でカリキュラムとか作ったりしていたけれど、実現には程遠く。構想だけで終了。
ただ、ツクルスクール卒業後や高校にあたる教育機関に対する疑問は持ち続けていて、それが来年2021年度、瀬戸プラクティカルカレッジということでスタートする。
これについて詳しくは2020年度の記事にときに書く。
いずれにせよ生徒募集に関しての出口はまったく見えず。
それでもほぼ毎日稼働していた4月、5月。
よくやっていたな、と今は思う。
自分なりに意味づけをしていた気がする。ツクルはもちろん生徒のためであり、自分のためでもあったけれど、もっと実質的に「自分が運動するための時間」ということにしておいたw
自宅で塾を開いているので、下手したら一歩も外に出ずに済んでしまうから。自分の健康のためにツクルスクールを継続しているんだ!という風に意味づけして、日々続ける活力にしていた。
ママの学び場一尾塾 (思春期の子育てを中心に、子育てについてのあれこれなどを話しているYouTube動画です。)
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