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人が透明になる過程
産声をあげ、笑うようになり、立ち上がり、家族だけの世界から飛び出して学校に通い、守られている状態から段々と肌が社会に近くなる。社会に出て、ついに庇護の皮が全て剥けて剥き出しになった私たちは、世の中には実にいろんな人がいることを知る。
近しい経験を共有してきた学校という集団から巣立ち、育った地域も年齢も社会での経験値も様々な社会という集団に身を置き、人の醜い面を知る。思いつきもしない否定、理不尽に閉口しつつ、ときに納得のいかない同調、ときに笑顔、ときに静かに拳を握りながら幾年もが経つ。
そのうちに人の悲哀に気づくようになる。言葉尻の調子で不調を読み取り、向けられる言葉の刃から言葉を発した人の傷口に気づくようになる。他愛ない日々の出来事1つ1つのパーツが組み合わさって、その人が立体となって見えてくる。
羨ましく見える人は実に幸せそうで、まさに隣の芝は真っ青でいきいきと茂っている。持っている物は上等で、身なりには手入れが行き届き、不幸を知らずに生きてきたと思わせる。カップラーメンや駄菓子は食べたことがないと噂されるその人には子供がいない。知り合った方からはよく「お子さんは何歳ですか」と問われるそうだ。友人の多いその人は、たびたび出産祝いに何を贈るか悩みながら選んでいる。周囲の羨望も僻みも含むその目は何を見ているのだろう。何が見えていないのだろう。
輪廻転生という言葉の正しい意味は理解していないが、次の世があるならば何になりたいか。
ある人は、人里離れた山奥の木の根元の草になりたいそうだ。静かで風がそよいで気持ちがいいだろう。野生動物に喰われるかもしれない、暴風雨で葉が折れるかもしれない。それでいいのかもしれない。
隣の人に聞いた。また人間に生まれ、恵まれた暮らしがしたいそうだ。
向かいにいる人はなんと答えるだろうか。
あるご婦人の元気がなかった。ご主人を亡くし、四十九日が過ぎたそうだ。
「嫌な旦那なら平気だったんだけどね。良い旦那だったからね。」
ご主人にお会いしてみたかった。
小さく見える南瓜が1個採れた。煮物、天ぷら、蒸し野菜にできた。
畝間の草を取り、虫を取り除き、脇芽を取り、藁を敷く。知り合いにお聞きした。農家の朝は日の出よりも早いそうだ。爪の隙間に土が入ったままの日焼けしたしわの深い手の美しさに気づくまで何十年が必要だったか。
喧騒は灰色の煙だ。
灰色の煙に視界が遮られ五里霧中で進んで行くと目が慣れてきて、ぼんやりとしていた影や形ががくっきりと見えてくる。煙が自分に染み込んで自分も灰色になってしまったとうつむいた目に映る自分は、以前よりも透き通っている。