ライスは大きいほど幸せになれるのか?
飲食店のメニューにある「ライス大盛り」はその店が優良店であるか否かを判断するための大きな指標である、と常々思っている。私が29年を費やし証明した数式を披露してみせよう。
R=S
Rは「ライス」、Sは「サティスファクション」。ライスの値が大きければ大きいほど、客のサティスファクション、つまり満足度も高くなる。そこには店側の客に対する心遣いすら表れている。
しかしだ、世の中にはライスの大盛りを謳っていながら、何食わぬ顔で並サイズのようなライスを提供してくる店が後を絶たない。やれやれ、いつになったら私の美しい数式を理解してくれるのか……。どうやら政府も重い腰を上げた、という情報も入ってきてはいるが、実際のところライス法案の成立までは先が長いだろう。
大盛りライスという表記はどこにだってある。だが、本当の大盛りライスはどこにもない。幻、とでも言おうか。
先日、私は旅先で焼肉屋にふらっと立ち寄った。せっかくのひとり焼肉だからと、肉をたくさん注文した。それは、それは、たくさんだ。松坂牛をウリにした店だったから、盛り合わせなんかも注文したりして、もう大満足だ。
最後に、ほんの軽い気持ちでライスを食べたくなった。
さきほども述べたとおり、ライスのサイズ感は非常にちぐはぐだ。メニュー上のライス大=我々がイメージしているライス並、であることが大半。ライス小なんて頼もうものなら、仏壇に供える程度のライスしか出てこない。
私が食べたかったのはライス並サイズ。つまり、メニュー上ではライス大盛りを頼まなければならない。イージー問題ではないか。
「お待たせしました。こちら大盛りライスです」
ありがとうございます。そう店員に伝えた私の唇は、微かに震えていた。
店員が持ってきたのは、てんこ盛りのライスだった。
私はほとんど満腹だった。
しかも残っていた肉は小ぶりなハラミ3枚。
悲鳴?そんなものはあげない。本当の絶望はとても静かなんだ。
店員はその状況を察したのだろう。くそ虫を見るような目で私を一瞥した。どうせ食えねえのに頼むんじゃねえよ。眼差しは雄弁だ。
ああ思い出した。
おしることライスが出てきたお正月の朝。とんかつだけ先に食べきって千切りキャベツとライスが残ってしまった昼の定食。冷凍したままのライスにかじりついた停電の夜。でも、全部、諦めなかった。
小ぶりなハラミ3枚で、この山、登ってみせる。
1枚のハラミで登れるのは最大3合といったところ。つまりハラミ3枚で、9合目まで登れるってわけだ。
残りの1合は、賭け。こんな極限状態でのライスアタックは初めてだがやるしかない。
もともとライス並を食べようとしていただけあって、6合目までは難なくクリアすることができた。問題はここから、といったところか。
だが、もう一歩も動けない……!
頭では分かっちゃいるんだ。あと一粒でもいい。米を口に入れなきゃ——。
その瞬間、滑落するイメージがよぎった。オロロロロ…と真っ逆さまに落ちていく、見るに耐えない光景。
ひとまず……ここでビバークだ。
ときに乾いた破裂音を鳴らす炭火をじっと眺める時間が続いた。肉も食わず、米にも手をつけない。飲み物にすら口をつけない。
だんだんと火の揺らぎが語りかけてくるようだった。
もっと近くで見てごらん。滑落に怯えながら体を震わす男のことを。人知れず生き方を問われている独りの男のことを。できたら手を添えてあげてほしいんだ。さすりながら、言ってあげて。
お食べ、た〜んとお食べ、お米をお食べ、ほらお米を、ほら、食え、食えよ。
炭火が鋭く鳴り、我に返った。
どうやら幻米(げんまい)に襲われていたらしい。これがライスアタックの恐ろしいところだ。正気を保てなくなり滑落していったライスクライマーは数知れない。米はおいしい。だがときに人を狂わせる。
残り1合ときた。ここからは未知の領域だ。一粒、一粒、着実に口へ運んでいかなければならない。手持ちのハラミはすでに使い果たした。たどり着けるかは分からない。でも、やってみなきゃ、もう少し。ほら、あとふた口……。ひと口……。
お米は一粒残さず。
ついに到達、した。ライスを完食した者だけが立ち入ることを許された聖域。ライスの頂でありながら米粒ひとつない世界。
トップ・オブ・ザ・ライス。
店内からは割れんばかりの拍手、とはならない。私自身がこの小さな出来事の、大きな達成感を味わうだけなのだ。
やはりライスの大きさに喜びは比例する。
ごちそうさまでオロロロロロロロロ……
-おわり-
photo by Yamanaka Tamaki
以上、『橋本歩と椿田竜児のレイディオ』の再構成バージョンでした。
実際のレイディオはこちら↓
第36回目「ライス大とライス並 どっちが嬉しい?」