25歳無職がリトルマーメイドをレンタルするということ②
-前回までのファンタジィ-
無職の橋本は突然『リトルマーメイド』をレンタルしたくなった。TSUTAYAのセルフレジでまごつく橋本。
ひまわりの乳輪のおじさんの登場。
果たして橋本は『リトルマーメイド』をレンタルすることができるのか。
➡︎前回のファンタジィ
橋本は『リトルマーメイド』と『羊たちの沈黙』をセルフレジのバーコードリーダーに読み込ませることに成功した。
ただのんびりはしていられない。
橋本はすでに店員にマークされている。
もしかしたら25歳無職が『リトルマーメイド』をレンタルして世界中の子供たちの汚れのない笑顔をおびやかそうとしたという理由で連行されてしまうかもしれないのだ。
だから一刻も早く、このTSUTAYAから脱出しなければ。
すでにセルフレジには合計金額が表示されていた。
216円。
もうすぐだ。
思い焦がれていた『リトルマーメイド』。
何度も何度も諦めようとした。
誰にも相談できずにお風呂でひとり悩むこともあった。
いっそこのシャンプーの泡と一緒にリトルマーメイドへの気持ちも流れちゃえばいい。
でもやっぱりそんなことできなくていつもパンテーンの香りがやさしく包み込んでくれてた。
お母さんはそんな姿を見ていつも心配そうにしていた。
夜遅くまでリトルマーメイドについて勉強してると、温かいココアにメッセージを添えて持ってきてくれてたよね。
お母さん覚えてる?
いつもこう書いてあったの。
「働きなさい。」
お父さんは本当に無口で怖い人。
だけどたまに顔をくしゃくしゃにして笑う。
あの時もお父さんは珍しく笑いながらこう言ってくれた。
「お前は人間のクズだ。」
お父さん、お母さん。
いま大きな一歩を踏み出そうしているよ。
ようやく『リトルマーメイド』をレンタルできるんだ。
さぁ216円よ、硬貨投入口に流れ込んで橋本を祝福してくれ。
賛美歌を歌ってくれ。
橋本の手を離れる216円。
硬貨と硬貨はぶつかり合いながら
物質として
価値として
データとして
セルフレジに吸い込まれていく。
支払い完了のメッセージが画面に表示され、思わず顔がほころびそうになるのを抑えながらもDVDを袋に入れて歩き出す。
突然、セルフレジが警告音のようなものを鳴らし始めた。
ついさっきまで使っていたレジだ。
そうかやはり。
橋本は、世界中の子供たちをおびやかした罪で連行されるんだ。
あれだろ、秘密組織マーメイドラグーンとかいうのが橋本をどこかに連れていっちゃうんだろ?
それで無理やり手術台に乗せられて全身麻酔を打たれてしまう。
目が覚めたらとびきり新鮮なコハダの握りになってる。
いままでのこと、これからのこと、そんなこと考える余裕もなく、橋本はただただコハダの握り。
コハダであることに精一杯なんだ。
とてつもない速さで置き去りにされる風景。
何をそんなに急いでいるんだ。
振り切っても振り切っても追いかけてくる笑い声。
何がそんなに楽しいんだ。
陽気なミュージックがエンドレス。
「パ…カッ…パーカッ…カ…パ…カーパッ…ズシ」
「かーぱかっぱかっぱのマークのかっぱ寿司、かーぱかっぱかっぱのマークのかっぱ寿司…」
橋本はかっぱ寿司の新幹線に乗っていた。
通常の握りより早く、笑いがこだまする客席を抜け、目的なき目的地に運ばれる。
コハダの握りよ、何処へ行く。
「僕ね、大きくなったらサーモンのお寿司になりたい。」
笑ってうなずく父は、息子の可能性の大きさを静かに喜ぶ。
そこへ橋本を乗せた新幹線が到着する。
コハダの握りがやってきたのだ。
息子は冷たい眼差しでコハダを見つめる。
見よ、この蔑みのまなこ!
感じろ、この関心を装った無関心!
父はコハダの握りが乗った皿を手に取る。
コハダを選んでくれた父への感謝とコハダをクソのように扱う息子への憤りが激しく混じり合い、凝固し、橋本は再び歩き出す。
セルフレジは警報音を鳴らし続ける。
秘密組織マーメイドラグーンが来る前にTSUTAYAを去ろう。
25歳無職が『リトルマーメイド』をレンタルするということはそれほど罪深い。
突然コハダの握りになっても文句は言えない。
レジの画面には「リジェクトされました」と表示されている。
リジェクト?
コハダの握りになるよりマシだよ。
警告音を無視して、店の外に飛び出した。
平日午前11時の太陽は開放感と絶望感をゆらめかせ、春の弱い風は『リトルマーメイド』と橋本を世界からふわりと浮かび上がらせる。
コハダにだけはなりたくない。
だけどすでに気持ちは『Under the Sea』 。
➡︎25歳無職がリトルマーメイドをレンタルするということ③へ続く