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はじめましての方も、おなじみの方もこんにちは。
現場に出るためなら何でもできるフリープランナー・福澤若菜です☆

いつも自己紹介をするとなると、情報が多くて話が長くなるので、
noteにまとめることにしました。
知っている方も、そうでもない方も長いですが気軽に読んでいただければと思います。

プロフィール


福澤 若菜(ふくざわ わかな) O型 
愛知県豊橋市出身
祖父・父・母・年子の弟と5人家族で豊橋で育つ
小学校3年から中学3年までソフトボールチーム(部)に所属
(キャプテン・キャッチャー・4番というまぁなんと肩書きは立派な物をいただいてました)
高校の部活動で演劇部に入り、スタッフ希望で入ったはずが、
厳しい先輩たちが一度は「全部やれ」といわれ泣く泣く役者もやり、
音響、照明、メイク、衣装とこなし、最終的にはこの学年の舞台監督で落ち着きました。
3年間目一杯やることで「みんなで作る舞台」に興味を持ち、
『主役を安心して舞台に立たせてあげられるスタッフになりたい』
と言うことをきっかけに、進路を変更し親を困らせながらも希望の大学に進学
大学へは名古屋市の母方の祖父母の家から1時間かけて通学
20歳でブライダルに関わるアルバイトをはじめ、
卒業後に名古屋で有名なブライダル講師の先生が経営する小さなブライダルのプロデュース会社へ就職
25歳で結婚、27歳で長女、29歳で長男を出産そのまま現場を続け、
36歳で会社を出て、38歳でイベントプランナーとして個人事業主


大学生活からウエディングの世界へ

大学の専攻は被服科のある大学に通っていました。
理由は「卒業制作にウエディングドレスを作ることができる」ということ。
あとはもともと「服飾科」に興味はあったので、医学部保健学科希望からの方向転換。
せっかく両親にもらった4年間。1年はやりたいことをアルバイト代が許す限りやり、2年目は3年生から夜間の専門学校へ通いたかったので、その学費稼ぎと大学祭実行委員を目一杯こなして充実した女子大生をしていました。

大学3年生から夜間のウエディング専門学校へダブルスクール
それと同時に市内の有名ホテルでの宴会サービスとして結婚式の現場に入るようになります。
4年生の間にブライダルの資格をとり、その後就職する「オフィス翔」で音響・照明の「技術スタッフ」として「サービススタッフ」と合わせて現場の掛け持ちをはじめ、平日は学校と一般宴会のサービスアルバイト、土日はほぼウエディングという生活を約2年過ごしていました。

大学卒業後から「ウエディングプランナー」へ

卒業後は名古屋の大手ブライダル企業系も面接を受けましたが、
「オフィス翔」スタッフの空きが出たためそのまま就職。
その後は「プランナー」はもちろん小さな会社のため、
すべてが少数精鋭、できることはすべてやるというスタンスだったので、
「アテンダー」「ヘアメイクスタッフ」「サービススタッフ」「音響」「映像」とできる事はすべてこなし、先輩プランナーがお花の世界のプロフェッショナルだったため、現場の前日はフローリストさんの雑用をこなし、
事務所が「ソフトクリーム屋さん」を併設していたので、
時間が空けば新商品開発から、POP作りなど、ありとあらゆる事をやっていました。
書きながらいろいろなことをやってきすぎて笑えてくるなと思いますが、
すべて全力でやってきたので、今の自分がいます。
会社員の頃のお話はあまりに盛りだくさんなので、またご紹介できればと思います。

結婚・出産・同居

20歳でウエディングの現場に入り、22歳で会社員となり、26歳の第一子妊娠9ヶ月まではフルタイムで働いていました。
私には子供の頃からなぜか「子育てがしたい」というぶれない夢があり、それをかなえるためにはどうしたものかというのは就職前から有りました。

ここで話はそれますが、私の主人は付き合ってすぐ「結婚したら親と同居」と21歳の私に、これから就活をするという私に向かって言ってしまうようなそんな変わった人です。
「何言ってんだこいつ・・」と思いましたし、似たようなことを本人にも言ったと思います。
ですが、約3年近くお付き合いをしていて、自分の「結婚・出産」と言うことを考えたとき、「ワンオペ」(その当時彼はサービス業のため、イメージしていた夫婦で協力していくという家事育児は期待できないと判断していました)と
「ウエディングの現場」をかなえるためには付き合い始めた頃に言われた
『同居』が私にとって、とても『魅力的』となりました。

実家も夜勤のある母、祖父と暮らしていたこともあり、祖父母のいる家のイメージができていたこと、また大学4年間は母方の祖父母と叔母と住んでいたのも大きかったと思います。
結果、第一子妊娠後、現在の北名古屋市の彼の実家へ完全同居、現在は同一敷地内に家は建てましたが、可能な限りの食事は私が作り一緒にとりますし、浴室洗面洗濯は一緒という同居を約15年続けています。
義理の両親との話もそれなりにいろいろあることに気づいたので、どこかでご紹介できればと思います。

10年先をどうするか

私の母方の祖父がずっと「人生50年、すぐ死ぬからやれることは今やれ」と90近くまで生きたくせに私にずっとそうやって言っていました。
ずっと信長かぶれだなと結構馬鹿にしていました(笑)
そして父方の祖母は私が生まれる前に病気で40代でなくなっていますので、もちろん会ったこともなく、そういうこともあるのだなと感じていました。
だからなのか、18歳で進路を決めたとき「本当に医療系で本当に良いのか」と迷ったことがウエディングの道に入るきっかけです。

18歳の時、10年後の28歳。
このときには子供がいて「ウエディングの現場にいたい」ということだけを目標に「役に立つ人」になりたかったのを覚えています。
そして27歳で第一子、29歳で第二子を出産し、子育てしながら、
あと10年は現場にいたいなという10年目標があり、子育てしながら、
同居に甘えながら、現場を続け、38歳になる前にオーナーが引退すると言うことで、会社がなくなりました(笑)
40歳になる頃にはプランナーでなくて良いなと漠然と思っていたので、
(若いプランナーさんがきっと活躍するしね、私はサポートとかアテンドとかそんなので良いかなと割と本気で思っていました)
それからコロナが始まり、会社員以外でプランナーをやりたいとは思っていなかったので、途方に暮れ、持て余した時間をどうしたら良いかわからず、
10年後のイメージが持てない日々が始まります。
とはいえ、ありがたいことにお仕事をご紹介してくださる方々がいたので、ご迷惑にならないように「個人事業主」として動き出したのもちょうどこの頃です。

いろいろな人との出会いが自分を変えてくれた現在


あまりに50代の自分のイメージがわかず、やりたいことほぼやらせてもらって、いろいろ体も無理して生きてきた40歳までの自分。
子供たちはありがたいことにすくすく、楽しそうに元気に過ごしてくれていて、思った以上にしっかり者になってくれています。
そして余生かと思っていた40代が目の前にあり、
「そんなんじゃだめだ!」と渇を入れてくれる
「40代、50代、60代」を満喫して楽しそうにしている先輩がたに出会うことができました。そして私のここまでの話をすると面白がってくれたり、いろいろ聞いてくれたり、お仕事をくれたりと思っていたのとちょっと違う人生がやってきました。

さらに同じ世代の友人や、現場で知り合った方が「まだやれる!」「もったいない!」と声をかけてくれたりします。
それも本当にありがたい。
私はやりたいと思ったことはほぼかなえてきたと思っていたけど、
まだやれることがあるんだなぁと思うことができている「現在」です。

さぁ、何やる?

今の私はまさにコレです。
ずっと「何をやりたい?」と向き合っているような気がします。
そしてまだそれは明確にはなっていませんが前より余生なつもりもなく、
「まだ何かやれる、なにか役に立てるのかもしれない」と思っています。
時代が変わり、私が結婚式を始めた頃と求められるものも、必要なアドバイスも、大切な物も変わってきているような気がしています。
SNSを見ていると「結婚式が必要なのか」という言葉もたくさん見て、
プランナーとしてだけではなく「親」という立場になってみても少しさみしい気持ちにもなったりします。

この時代の移り変わりの中でプランナーをしてきた私ができることは
「古き良き日本の文化」の中にある「美しさ」や「気持ち」を今の人が望む形に上手に組み入れることかなと感じています。
今の若い人たちの感覚はとても素晴らしいし、技術が素人レベルではなかったりするし、情報を得るのも上手なので、現場の人間より詳しい方も多くいらっしゃいます。

一方で、私が現場をはじめたときからご一緒している、アナログ時代を乗り越えて現場にいるスタッフの圧倒的な技術力や知識、そして「一生に一度」を何度も経験しているスタッフの対応力のすごさを持っている方もたくさんいらっしゃいます。
そういう方は表(SNS)に出なくてもいつもお仕事があるので、お客様から出会えることは希です。そういうスタッフに「たまたま」当たったお二人はきっと神様に祝福されてるんだろうなと感じるくらいです。
ただ、そういうスタッフさんは個人の受注でない分、どうしても使われてしまいがちというのもよく聞きます。

そんな素晴らしいスタッフさんとお客様を繋ぐ橋渡しができる、そして
「安心していただける現場」をお客様へも、スタッフへも提供できる人になりたいなと、今は思っています。
それはウエディングだけではないのではとも思います。

私に何ができるかわかりませんが、
今日、ここで書いたことが私の「スタートライン」になればと願いを込めて。


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