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私は愚かな人間だ。こう書き出したとしても、病んだ文章を書くつもりはない。
私の愚かさの一部と同じものを自認する人が、この世界のどこかにきっといると疑っている。
だからこれは、ただ自らの醜い失敗たちに、何とかポジティブな意味を付加できないかという、自己満足のための愚かな試みである。

私はきっと、生まれたその時から愚かだった。それを自認しながら、まわりの優しい大人たちへの依存と、自分の放任的楽観主義のためにそれを放置してきた。
小学生の頃から周囲とうまくいかないことが多かった。友達は決して少なくなかったが、その接し方は歪で、私の自己中心性のために多くを傷つけ、ついに私を本質的に信頼する人は家族以外にいなくなった。私の家族は底なしの優しさを持っていた。
何より痛々しいのは、これら全てのことに、22歳になるまで気づかなかったことである。

私の加害性は私自身にも向けられていた。まわりまわって無意のトゲは無意のまま刺さり、私の精神は腫れ上がった。厄介者である。
加害性には無自覚で、社会が私に害をもたらしていると思っていた。

中学校の頃不登校になって、私は優しい両親を殺害した。それほどの毒を吐いた。「お前らが産まなければ良かったんだ」と言ってしまった。毎晩遅くまで働き「心」に関する本をたくさん読んでいた父親と、温かいうちに食べることのない朝食を毎朝作り続けた母親に対して。

部屋にこもって人とぶつからなくなったことで、私のトゲは角を丸くすることを忘れた。
それでも両親は適応指導教室を見つけ、私を連れて行った。娯楽のために生活リズムが整って、悪魔のまま高校に進学した。

そこで大切な出会いをした。私のためを思ってくれる人がいて、語るべき成長をいくつも重ねることができた。
しかしそれ以上に、私は醜かった。
私はここで、語るべき成長を語ることができない。なぜなら周囲の支えに対して不誠実で、意識を向けず、そのために今の私にいくらかの記憶を残していないからだ。

高校3年生の冬、私はまた部屋に引きこもった。成績はさらに下がり、2月になって大切な恩師が電話をかけてくれるまで、私は私を放棄していた。
恩師が高校生活の中で与えてくれたたくさんのことと、繰り返される電話のおかげで私は大学に合格した。

大学に入ってしばらくして、恩師が創立した場所で働くことになった。愚かにも、庇護下でお手伝いをするような感覚だった。
私の愚かさは随所で露わになり、たびたび恩師と先輩に害をもたらした。

私は自らとその人生のことを、心底どうでもいいものと、どうなってもいいものと思っていた。それだけならまだしも、私は社会のことも周囲のことも同じように考えていた。
だからこそ責任感が薄く、言動が薄く、自分が抱えるリスクに気がつかない。

明日からは違うと信じている。違わなければ、私はまた罪を重ねてしまうのだから、違わなければならない。本当に幸せなことに、これでも私と共にいてくれる人がたくさんいる。

私は愚かな罪人である。本当なら、牢屋で人々から隔離されるような存在だ。病んでいるわけではなく、事実として私は周囲に害をもたらしている。
私の大罪は、私自身が周囲に与えることができるもので返しきれるものではない。
だからこそ、明日からの私は返し続ける人生を送る。傷つけないように、罪を犯さないように、害をもたらさないように、返し続ける。
そうでなければ、生を受けた許しが得られないから。

ここに書いたのは、100%ポジティブな文章である。
ところでこれを読んだみんなには、本当に思い当たる節は無いのだろうか。私だけが有害ならばそれが良い。もしそうでないのなら、あなたには私がいる。どうか1人にならないで欲しい。時効のない罪を抱えて心からそう思う。

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