見出し画像

器のかたち

松重豊さんの本『空洞のなかみ』を
読んでいます。

TVで植野広生さんとの対談を見てから、
時間が割と経っています。

その対談を聞いていたら、
松重さんが(オノレの)器の話をされていた。
その夜。

もはや、
(オノレのは)器の形をすらも
していないのでは、と。

高く形づくろうとしては、ぐにゃりとする、
その繰り返しみたいな…..(怖)

そんなで、じゃあどんなんがいいの?
と、ちょっと考えていたら。

前職でお世話になった社長がある時、
ふと、くれた器を思い出した。
『これ、ただであげる。』

先輩と色を相談して、
それぞれ1枚ずつ、もらった。

白っぽい荒い土がベースで、
志野(しの)という白い釉薬が重なっている、
ちょっと高台が高い、
皿と鉢の中間みたいなもの。

なんだか、すぐそれが出てきたこと
嬉しくなった。
そこでお世話になった日々を
少し思い出した。

男性的でもあり、女性的でもある。
決して、中性的ではない。

そして、大きすぎるでもなく、
小さすぎるでもない。

そんな器。
ああ、なんであんな物を作れるんだろうって
とてつもないバランスを持つ、そんな器。

いま、祖母の家にいて、
自前の食器は基本しまいこんでいる。
でも、この器は取り出せる所にある。

使っていた時、なんとなく、
女性的に上手く使ってあげられなかったな
なんて思う。

でも、あの器に盛ったパスタが食べたい。
むずかしいところ。