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方向性について 乱文1

最近少し変わった集まりに参加しています。
鍼灸の世界に生きていない人からの学びは大きいということで、
いろいろな方面の方から貴重なお話を聞ける会です。
今回は、Mさんとの座談会でした。

それにしても。
みんなすごいんだよな。聞く力が。その場をつかむ力が。

『会社員を辞めた時、何か(好きの延長線上で生きよう)を続ける事を決めた』との言葉をきいて、意外とそういうの避けてきたのかもと気付きました。

椎名林檎の閃光少女じゃないですが、先回りせず、決めるのは五感を奮ってその時にと。その感覚を全部捨てずに、でも芯があるというのはいいなと、今は純粋に感じれた。

さて、私の場合、どういった言葉にすることができるだろう?
Mさんのように、全体を含んだ言葉にするのは、難しい。
実例をもとに、遡ってみる。

もし相手に何かを与えられるかもしれない状況になったら
今まで友人と作って来た関係を、その人とも作れるように
技術や心構えをつらぬくこと。

それってどんな関係?
何かに共感して、心から祈りたいと思うような、
横の関係をお互いに結べると実感できるような、
ともに遊び続けたいと思うような

(好きの延長線上で生きよう)
これに含まれるのでは…?パワーワードだなあ。

与えるとか与えられるについて。
こちらから何かをしたいとアクションをすると、
なぜかこちらが救われていることがある。
心身ともに。お腹ぐずってたの治ったりする。

相互関係って不思議だな。
自分がそう思ってたことを、相手が逆にそれを思っていたりする。
先日、久しぶりに会話ができた大学の友人も然り。

ちなみに幸せホルモンであるオキシトシンは
触れられた側より、触れている側が多く出るそうだ。

何かを与えたいと思っての行動だったとしても、
何かに気付くのは相手しか出来ないことだから、それをうばわない。
どうやったらそんな気付きが相手に起こりやすくなるかを
ずっと考えること。自分がMさんによってのヨガのような存在になること。

人はかわるけど、DNAは不思議と変わらない、
自然とワクワクするものがある。
声が聞こえやすい状況に誘導すること。
ちなみに従来の教育はこの声を聞こえにくくする要素が強いらしい。

暮らして来た中で得た価値観は、変わるものに分類する?
DNAが積み重なって、結果変わったという状況が一番自然なんだろうな。
価値観が外に無いって、私はどうなのだろう。

あと、やはり、
私ができることで、かつ、社会に求められていること、
後回しにできない命題だなと思いました。

コンセプトを決めて、はやく理想と現実の間を走りたいけど、
焦らず薄皮を重ねるように自分の仕事を作っていきたい。
焦りがちなので、それは念頭に置きたいと思いつつ。
バランスをとって。

ひとつ今でも思いかかるワードは

身軽に動く気持ちよさが好きである事を軸に、
医療業界で言われる寿命と健康寿命の差を、
私が対応出来る人だけでも縮めることの交差点です。

私は動き回れる私で居たいし、まわりの人間もそうであってほしい。
どうやってそれをやれるのか、やってる人が周りにいるのに
自分がなかなかできないジレンマがある。

ステップとして、
自分の体を、自分で使いこなすために、意識を持てる状態に
まずする必要がある。

医療の業界では、痛みの部位数が多いほどお金になるから、
お客さんにしたいという人間もいるらしいです。
(逆にまだ軽度や1箇所のみの人は単価低いからお客さんにしたくないとか)

考え始め、周りの現実を見ると、
意外と周りに合わせてしまう性格なもので、
よくある質のいいデイサービスみたいなものを想像しそうになりますが。

あえて分けたい。
例えば建具の歪みを実際に開かなくなる前に気づいて直してしまう大工さんのような、小さなことをも気付ける感覚を持ち、またそれを納める人になりたい。

嗚呼。
前職の大工さんが、俺らの仕事は9割方が段取りを組むことって言ってたな。だから出来ないのかも今。

そしてMさんの言葉を聞いて思ったのは、
相手に与えっぱなしにするのを望むのでは無くて、
相手が何かを自分で気付ける仕組みを持って、
施術することが大事だと思いました。

最終的には多少の不調を自分でも納められる、
そんな感覚を持ち帰ってもらえる方法を私は選択して学びたいと思います。