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職の記憶(インテリアコーディネーター)

こんにちは。今は離れてしまった仕事だけど。新卒から3年間半、私はインテリアコーディネーターなる職についていました。戸建注文住宅の外内装、詳細間取り等を聞き取って翻訳すること。決定仕様を資料に分かりやすく纏め、現場担当に引き継ぐ。こんな仕事をしていました。

この対ヒトの仕事を通して得た、感情や気づきは大事なもので、多分一生付き合っていく。世の中にはたくさんの仕事があるけれども、私は、オーダーメード(対個人)の仕事ほど、楽しいんだと思う。その理由をふたつ。


知らない考え方や経験を追体験できる事

「人間って結局みんな変人だよね〜」

高校時代の友達が言ってた。すごく的を得た言葉だなあと思う。大人になって思う。ヒトによって考え方、あまりにも違いのでは、と。

「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。」

かのアインシュタインも言っている。そんな偏見のコレクションを大事にしながら、より良くなりそうなら提言する。そんなバランス感覚が求められる。

より良くの部分について。家は多くの人が人生で一回しか、この買い物をしない。つまり未知の割合が大きい。そんなどこが分からないのかをまず一緒に探って見つける。すると基準が分かるようになる。これには対話するしかなくて、さらに人の考えは其々が異なるのだから。きっと目を向けなくても、事業として成立するだろうに、面倒な作業をわざわざ行なっていたと思う。でも結局そこの作り込みが面白くて、自分以外の生き方に触れられるのが楽しかったんだと、辞めてから特にわかる。


自信の持ち方を知る

「あいての目を見て、やりとりすること」

これはバイト時代に店長に言われた言葉。そのときは、まだこの言葉の先は考えられてなかったと思う。とりあえず目を見るようにした。意外と見れてなかったと知る。

インテリアコーディネーターとして、技術や知識をつけることは必要だし楽しかった。でもそれ以上に、身構えひとつで初めましての信頼を得ること、身につけた技術知識の抽斗からそれを早く取り出すことのが肝要。先輩が相手に対して、空間の説明をする時のメジャー扱いが格好良くて。それだけでは無いのだけど、少しでも近づけるように、たくさんたくさんメジャーを触った。いつの間にか気にせず出来るようになっていたけれど、技術知識以外のものが、自信をつくっていけると気付けたのは財産。引っ込み思案だったもんで。(よく対人の仕事についたな...)

そうやって体を使い切って出来る、身軽な職業っていいなと思う。


その他

やっぱり現場が面白い。非日常の宝庫。話したり、会いに行ったり、一緒に茶飲んで休憩したり。経験が増えれば増えるほど、お客さんに話せる内容、厚みも自然に増えていく。大好きだったな。相談できる、有難い関係性。最初は話しかけるのも怖くて、話しかけていいのか先輩にいちいち聞いてた。なんだかんだ、現場の職人には敵わない。自身の手で形を生み出してる彼らは、かっこいい。

裏テーマは、経年変化を期待できる素材を、説得して忍び込ませる事。全てがそうじゃ無いかもしれないけど、基本単価が高く機能性面からも採用されることが少ない。家づくりは基本の金額が高いこともあって、比較寿命が短い素材が使われる事が多かった。小学生の頃、「なんで似たような形の電化製品が、たくさん作られているんだろうなあ」って思った事を覚えている。経済の為に、量が必要なことがあると今は分かったけれど、抵抗したかった。資源は有限で、むやみに使うものでは無いと思うけれど。何が正解かが難しい。

辞めた理由は、建築が好きだったから、だろうか。良くも悪くも、いや、悪く「こうしたい」って気持ちが強くかった。この仕事には、正解はなくて。どれだけ住む人にとって心地よい空間に近づけていくかが肝要だと思います。相手が望むスタイルを見た時に一種冷めてしまう。そんな人物が提案を行うことに違和感を感じました。先輩方を見て、全てのスタイルに対応できる事こそ、プロなのだと、実感をしている。そのスタイルを望める人が作ることが、良いものが出来る為に必要と思い、私が口出す事じゃないって思った。頑固で面倒臭いものだ。