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「ダークツーリズム」を考える:岩辺卓浩

TOP写真は「不気味な姿「人間魚雷」回天」(2024.10.17)

 「ノーベル平和賞、おめでとうございます」
 この書き込みを見たのは東京都江東区夢の島にある「都立第五福竜丸展示館」の来館者記念帳だ。
 今年の平和賞は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)で、広島、長崎の被爆者を支援する組織なのにと思ったが、しばらくして気がついた。日本被団協の目的は「原水爆」の被害者を再び作らないことで、会の設立を後押ししたのは第五福竜丸事件だった。

■戦争体験世代の「消失」
 「ダークツーリズム」。こんな居心地の悪い言葉が聞かれ始めたのは21世紀初めからという。戦争被災地などを巡る旅の事で、ドイツのアウシュビッツ収容所や広島の原爆ドームが典型だ。「観光地扱い」への批判は重いが、背景には「世界大戦を体験した世代の消失」という危機感があるのではないか。私は少しでも「負の遺産」を巡り、共有しようと考えている。

■生存者はついに1人
 マグロ漁船の第五福竜丸が米国の水爆実験によりビキニ環礁で被ばくしたのは1954年で、ちょうど70年前の話だ。訪れたのは晩秋の11月12日。最寄りの地下鉄・新木場駅はサラリーマンや学生で混み合っている。直前の9日には「乗組員(23人)の元船長が亡くなっていたことが分かり、生存者は1人になった」とのニュースが流れたばかりだった。
 展示館は英語、中国語、韓国語の説明文があり、スマホで熱心に撮影する若者や外国人の姿も目立つ。第五福竜丸の悲劇を痛感したのは、航行海域が水爆の投下地点から160キロも離れていたということだ。ウクライナでロシアが使用をちらつかせる「戦術核」でも広島原爆の5~10倍とされており、被害は想像を絶する。
  展示館はごみ埋め立て地に廃棄されていた船体を引き揚げ、1976年に完成。1947年建造で廃棄されていた木造船を元の姿に修復した技術は「奈良・法隆寺の修復に匹敵」とされており、支援者の熱い気持ちが伝わってきた。

■「決死兵器」の回天
 これに先立つ10月、山口県にある「周南市回天記念館」を訪れた。
 新幹線・徳山駅で降り、港からフェリーに乗船。私を入れて客は6人だけだ。約50分かけて大津島に到着し汗をかきながら山道を歩くと、入口に不気味な「人間魚雷」回天を展示した建物がある。
 回天は当時の九三式酸素魚雷を切断し、中心部に人間が乗る空間を造った特攻兵器で、長さ約15メートル、直径1メートル。潜水艦に搭載し、目標に接近すると海中から出撃するが、最高速度だと25分しか潜航できない。
 展示はレプリカで、国内唯一の実物は東京・靖国神社境内の「遊就館」にある。特攻に使われた零戦や戦艦大和は「技術の集大成」として美しさすら感じる。しかし、魚雷を改造した「黒い物体」は醜悪に見えてしまう。
 入館時は自分だけだったが、しばらくするとフェリーに同乗していた高齢の夫婦と女性グループが到着し、黙り込んだまま館内を巡り始めた。
 脱出装置がない回天は「決死兵器」ではなく「必死兵器」とされ、海軍は開発を許可しなかった。申請は何度も却下されたが1944年2月、「脱出装置の取り付け」を条件に認められる。しかし、現場はこれを無視したと知り、さらに気が重くなった。
 展示された隊員の家族に宛てた手紙は何とか読めたが、レコード盤に吹き込まれた伝言だけは聞くことができなかった。
 受付の女性は「以前は年1万数千人の見学者がいましたが、コロナ禍や関係者も少なくなったせいか減っています」と語る。記念館は1968年に全国からの寄付金などをもとに完成し、現在は周南市が運営。毎年11月の第二日曜日には慰霊祭が行われ、今年も遺族ら250人が集まった。昨年の見学者は約9700人。
 広島市の平和祈念資料館はオバマ元米大統領の訪問なども背景に、23年は過去最高の約198万人(うち外国人は67万人)が訪れた。しかし、隣県の小さな島で、「必死兵器」の訓練に明け暮れていた若者がいたことは知られていない。

■「今なお批判」の良識
 周南市から戻り、護衛艦艦長など歴任した元海上自衛隊幹部に報告したら、こんなメールが返ってきた。
 「旧軍の強靭な敢闘精神は称賛に値しますが、そもそも戦争目的に無理があり、対米諸作戦は著しき合理性を欠く犠牲の多いもので、今なお批判され続けています」。
 ロシアや中国の台頭、更にトランプ米大統領再選で日本の防衛力強化は避けられない。防衛省や勇ましい発言を繰り返す政治家には「旧軍の戦争」を冷静に分析、批判する元幹部のような良識を期待するばかりだ。

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