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投資会社KKRが富士ソフト株を公開買付け 「ゆでガエル」の受託ソフト開発業に黒船来襲となるか:佃均
TOP写真「創業15年目(1985年)に完成した旧本社ビル:神奈川県鎌倉市(筆者写す)」
8月7日、「アメリカのコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)社が富士ソフト株式を公開買付け、年内に上場廃止へ」というニュースが飛び込んできました。買付け価格1株8,800円計算で約5,583億円というのは、近年のIT系のM&Aでは最大規模です。
第2四半期決算と合わせての発表は、両者間で周到な打合せがあったことを推測させます。ではあるのですが、
——なんで……?
のモヤモヤ感は消えません。
■成長を加速させ顧客企業にさらなる価値を提供
KKR社は1976年、ジェローム・コールバーグ(Jerome Kohlberg Jr)、ヘンリー・クラヴィス(Henry Roberts Kravis)、ジョージ・ロバーツ(George Rosenberg Roberts)の3人が立ち上げた投資会社です。ニューヨークに本社を置いていた投資銀行ベア・スターンズで知り合った3人は、ベルギーの投資会社グループ・ブリュッセル・ランバート(GBL)社から資金を調達して、食品や交通、物流、エネルギー、ハイテクなど多分野の企業に投資を行ってきました。
同社の資料によると、これまでに行った投資案件として、米大手スーパーチェーンのセイフウェイ、食品メーカーのRJRナビスコ、ITシステム管理ソフトのBMCソフトウェア、日本ではパソコン用会計ソフトの弥生、ヘルスケアのPHCホールディングス(旧パナソニックヘルスケア)、物流のロジスティード(旧日立物流)、スーパーチェーンの西友などが知られます。セイフウェイはのちに株式を再上場、RJRナビスコは事業分割ののち売却、PHCホールディングスは複数社に株式を売却したうえ再上場と、必ずしも買収した企業の経営に関心があるわけではないようです。
富士ソフトの買収について、KKRアジア副代表兼KKRジャパン代表取締役社長の平野博文氏は「日本のITサービス業界がデジタルトランスフォーメーションという大きな変革期を迎える中、同業界のリーディングプレイヤーである富士ソフトに当社が投資できることを大変喜ばしく思っています。KKRのグローバルプラットフォームとITサービス業界への豊富な投資実績を活かし、富士ソフトの長期的な成長を加速させ、顧客企業にさらなる価値を提供すべく支援して参ります」と述べています。
■モノづくりの現場密着で独自の地位を獲得
一方の富士ソフトの2023年12月業績は従業員1万7,921人(うち非正規4,385人)、売上高2,988.6億円、本業の儲けを示す営業利益率は6.9%でした。独立系受託ITサービス業ではトランス・コスモス(東証プライム)に次ぎ、ソフト開発の領域ではトップの規模となっています。
創業は1970年の5月、「富士ソフトウェア研究所」として横浜市旭区のアパートでスタートしました。工学系専門学校の教師だった野澤宏氏がゼミの教え子と一緒に起業、アパートの窓から富士山が見えたのが社名の由来です。ソフト産業の黎明期、典型的な創業モデルです。
筆者が初めて取材したのは1983年か84年、同社が東京・芝浦の倉庫を間借りしていた時期でした。野澤社長以下、社員全員が胸に「FSI」のロゴが入った作業服でした。「ソフトウェア工場を目指している」という説明だったことを覚えています。
印象的だったのは「自社ビルを持ちたい」と語っていたことでした。不動産神話が絶対的だった時代です。「国道16号沿いに自社ビルの事業拠点を展開したい。東京包囲計画だよ」と冗談混じりに話していたことを思い出します。
教室の延長だったので「授業」「部活」「夏休み」があり、研究所であり工場なのでソフトウェア技術の研究やプログラム検査ツールの開発が日常的に行われていました。早くからモジュール・プログラミングやオープン系アーキテクチャに取り組んでいたのは、モノづくりの現場に密着していたためでしょう。急速に高まったマイコン系/通信系プログラムに軸足を置いたのが、受託ソフト開発業界で独自の地位を獲得した要因でした。
■3000億円クラブを余所目に自社ビル建設
21世紀に入って、規模の拡大を目指すSIerの再編が起こりました。TIS(旧東洋情報システム)とITホールディングス(旧インテック)、日立ソフトウェア・エンジニアリング(現日立ソリューションズ)とアイネス、CRCソリューションズと伊藤忠テクノサイエンス(のち伊藤忠テクノソリューションズ)、NJK/日本電子計算とNTTデータ、CSKと住商情報システム(現SCSK)等々です。野村総合研究所、日鉄ソリューションズといったユーザー系大手を合わせ、いわゆる「3000億円クラブ」が形成されて行きました。
こうした動きを余所目に、富士ソフトは自社ビルの建設に注力しました。横浜・桜木町、東京・錦糸町/秋葉原、名古屋・名駅など、いずれも高層なので空スペースをテナントに賃貸することになります。業界では妬み半分、「不動産業に転身か」「いずれ借金返済で首が回らなくなる」と囁かれたものでした。実際、2008年に野澤氏が会長に退き、みずほ銀行常務だった白石晴久氏を社長に迎えたのはそのためと推測されています。
白石氏のもとで、同社はプライム受注の拡大、ソフト/サービスの商品化、事業部門を超えたクロスビジネスなどを推進しました。本意だったかどうかは別として、受託ソフト開発業の宿痾とされる多重下請け構造を広げたことは否定できません。
ちなみに2013年12月の同社の従業員は1万468人(うち非正規2199人)、売上高は1,053.9億円、営業利益率は5.4%でしたから、現社長・坂下智保氏の10年間で従業員は1.71倍、売上高は2.84倍、営業利益率は1.5ポイント上昇したことになります。1人当たり売上高は10年間で1.66倍に増えています。
ところが従業員の平均年収は2013年が574.1万円、2023年は600.0万円と微増にとどまっています。これは1人当たりの生産性が改善せず、経営コストが大幅に増えたことを意味しています。その多くが外注費であると推定されます。
■クラウドから末端まで一気通貫する構想
マイコン/通信系プログラムはクラウドやAI、IoT(Internet of Things)の普及でますます需要が高まると予想されるものの、富士ソフトの売上高、営業利益はともに増加し続けていますが、営業利益率は決して高くありません。従業員1人当たりの生産性も改善されていないように見受けられます。KKRが単年度売上高の2倍近くの額を投入する意味は奈辺にありや、です。
自動車や産業用ロボット、制御機器などはハードウェアとソフトウェアが同時並行で作成されていきます。「擦り合わせ」と呼ばれる進め方で、手順が定まっている業務処理と決定的に違います。
このため機械メーカーは組込みプログラムの内製化を進めています。企画・設計の上流工程から情報を共有していないと臨機応変な対応がとれないためです。結果として外注を絞り込むことになりそうです。
すると——憶測の域を出ないのですが——、まず考えられるのは同社が保有する不動産と取引先企業の口座です。不動産を売却しないにしても、それよって巨額の資金を調達することができれば、KKRのビジネスモデルに合致します。
またKKR社は今年6月、シンガポールのデータセンター事業者を傘下に収めていて、アジア太平洋地域でクラウドの上流から末端まで一気通貫するシステムサポート体制を視野に入れているのかもしれません。となれば大掛かりな人員の入れ替えや事業の抜本的な見直しは避けられません。
■「ゆでガエル」を変革するきっかけとなるか
一方の富士ソフト経営陣が発行済み株式の21.5%を保有する3Dインベストメント・パートナーズの経営改革提案を拒否したのは、個人筆頭株主で事実上のオーナーである野澤氏がKKRが描く将来像に大きな魅力を覚えたから、とも思えます。ただし前述のように、現経営陣、従業員、外注先企業が中長期で担保される保証はありません。
かつてインドのタタグループ、韓国のサムソングループなどが日本の受託ソフト開発市場への参入を試みたことがありました。しかし日本語と日本独特の“変な”慣習が「壁」となったことは周知の通りです。ここにきてアクセンチュア、デロイトといったアメリカ系コンサルティング会社が国内のシステム開発会社を傘下に収める動きを見せています。それはおそらく、日本の「壁」を乗り越える策に違いありません。
この30年ほど、受託ソフト開発業界では「ゆでガエル」(ぬるま湯でも出ると寒い。気がついたら目が回って動けない:「緩やかな死」の比喩)からの脱却が指摘されてきました。人を増やせば売上げが増える、でも生産性と利益率は低下するジレンマです。ということから、KKRがより高く転売する安易なマネーゲームに終わらせず、緊張感のあるグローバル化の風を吹き込んでくれることを期待するわけです。