田崎氏はむしろ清々しい感じすらある
若い人たちは知らないだろうからウンチクというか雑学として引き出しに入れてくれればいいつもりで懐かしい昔話をすると、1970年代から80年代にかけてIBM社が「コンピュータのガリバー」と呼ばれていた時代、記者会見でIBM社にとって都合がいい答えを誘導したり、事実上IBM社になり代って状況を解説する「IBMウォッチャー」がいて、それで他の記者が一斉に会見会場から退席した、というエピソードがあった。佐藤栄作首相が最後の会見で「テレビとだけやりたい」と発言して記者が一斉に退場したことがあったのに比べれば社会的インパクトはなかったのは、当時はIBM社の広告が出るか出ないかが紙メディアの格のように思われていたので「ああ、そういうことなのね」と同情の余地があったからだ。わたしも情報サービス産業協会(JISA)の記者会見で会長や事務方を批判する独演会をやって顰蹙モノだったことがある(それはわたしの記事:例えば「JISAのトンチンカンを止めるのは誰かを考えるのもバカバカしいという話」を読んでもらうとして)のだが、元時事通信の田崎さんを見ていると、ここ数年、寿司トモとか田崎スシローとか悪口雑言で叩かれまくっていたのは「ジャーナリスト」の肩書きでモノを言っていたからで、ところがコロナ騒動では時事通信の役職から解放されたこともあって完全にアベ政権のスポークスマンとして振舞っているしワイドショウもそういう扱いに転換した。「いくらもらっているんだろう」「さぞかしいい思いをしてるんだろうな」という人がいるけれど、あるとき新宿西口地下通路をチャッチャと歩いている田崎さんを見かけたことがあって、あらこの人は専用車じゃなくて亡くなった筑紫哲也さんのように地下鉄で移動してるんだ(そうか時事から離れたからだな)と思ったものだった。いずれにせよ田崎さんクラスになるとお金の問題じゃなくて、あのように振舞うことがミッションになっていて、そのように振舞わなければラ・フランスになることが自分でも分かっている。つまり本音じゃなく、演じているんだ、と自分自身を騙している。それはアベくんも一緒だし、波富山さんも振立ちさんも一緒。「少なくとも県外は方便でした」「あれは報道キャスターを演じていたんです」と言い訳することができるのはそのせいで、田崎さんはそのような言い訳をしないだけ清々しい感じすらある(と皮肉を込めて言っておこう)。